【直輸入】第2回新着ブルゴーニュ試飲会
平野弥さんにて新着ブルゴーニュ試飲会です。
続きを読む古酒、グラスについて
1990 エシェゾー コカールロワゾ・フローロ
続きを読む宝石との類似性
七つ屋志のぶの宝石匣
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%83%E3%81%A4%E5%B1%8B%E5%BF%97%E3%81%AE%E3%81%B6%E3%81%AE%E5%AE%9D%E7%9F%B3%E5%8C%A3-KC-KISS-%E4%BA%8C%E3%83%8E%E5%AE%AE-%E7%9F%A5%E5%AD%90/dp/4063409406/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1479127812&sr=8-3&keywords=%E4%B8%83%E3%81%A4%E5%B1%8B%E5%BF%97%E3%81%AE%E3%81%B6%E3%81%AE%E5%AE%9D%E7%9F%B3%E5%8C%A3www.amazon.co.jp
を読んで、ワインとの相関性を考えてしまった。
《作られる課程》
■共通項■双方に大地からとれ人の手によって加工されます。原石は長い年月をかけて生成され、潜在的な品質が”大地”によってきまります。また宝石のデザイナー、ブランドで購入者は評価が変わります。石そのものの価値よりもブランド、メーカが重要視されたりします。
ブルゴーニュでも大地が大事なはずなのに、「ブルゴーニュは生産者で選べ」と語られたりします。DRCやジャイエやルーミエなどもブランドで、それを有り難がられています。
《歴史》
■共通項■作られた宝石は、「アレキサンドライト」のように「ロシア帝国皇帝に献上された日である4月29日が、皇太子アレクサンドル2世の12歳の誕生日だったため、 この非常に珍しい宝石にアレキサンドライトという名前がつけられたとされている」といった物語がつき、物語性が喜ばれます。まるでレザムルーズなどの物語性のようです。
《使い方》
■共通項■誕生日、結婚などの記念などに送られたりします。またパーティや儀式で着飾るために使われます。それらは権力の象徴であったりし、権力者が身につけます。
ワインを記念日に開けたり、こどもの生まれた年のワインをかって送ったりパーティでふるまわれたりしますね。ロマネコンティなど権力者の象徴だったりもします。
■ワインについて■ワイン愛好家がいて、その人の記念日であればあけようかなとは思いますが、家族が誕生日だから、結婚記念日だからといって、ワインを開けようとは思いません。(その人がワインを求めていないのであれば)逆に、飲みたいときであり、ちょうど良く熟成させたものがあるのであれば、記念日であれ、記念日でなくても開けたいです。ワインはそれを飲めるタイミングで飲むのであって、記念日のために存在しません。なので、「今日は記念日なので・・・」というテンプレートで向かい合うことはしません。
《価値観》
■共通項■本質はそのものが持っている「美」に価値を感じ、のめりこんでいきます。その美を自分のものにすることで、何かを得ているのでしょう。その下の価値観として、社会的なステータスを得ることを目的にする人もいます。「美」そのものを理解することは困難であり、「違い」を判ることも多くの人には困難です。そのため、多くの人は社会的なステータスしか理解できなかったりします。
分からない人には、何カラットであるとか、カタログ値にばかり目が行きます。でもそれは「美」ではないんですよね。結局その価値を理解しないものがそれを得て喜んでいます。「豚に真珠」とはまさにいい得て妙です。
■ワインについて■アンヌグロが言っていますが「どのみち、ワインは教養が無い人には理解されない。正しく言うならもともと教養がある人か、それとも教養に向かって心を開ける人でなければならない」なのだと思うのです。言い換えさせてもらうと、ワインの美を理解できる人というのは、その美を必要としている人にのみ開かれているのだと思うのです。必要としないからその美を認識できない。美があることが認識できない。これは嗅覚や味覚の能力の問題以前に、求めていないからなのだと思うのです。なので、求めていない人が、ワインを飲む必要ないのです。だから、ワインの美が何か分からないから飲むということは起こりえず、ワインの美を我々の内側に理解していて、それを開けるために飲んでいるという表現のほうが正しいのかもしれません。それがアンヌグロのいう「教養」と解釈しています。
《消費》
■共通項■宝石は類似する装飾品と比べて格段に高価です。それにもかかわらず一部の人を虜にさせて(宝石を趣味にして)、虜となった人は散財します。ひどい場合、経済破綻することもあります。また価格が高いものがいいという考えに至る人もいます。
■ワイン■ワインもその他食材と比べると非常に高価です。しかしながら、宝石が高いことを考えると、それも致し方ないと思ってしまったりします。ワインが高いことがワインを貶めることにはならないので、勝手に高くしてしまった社会的ステータスが悪いのです。
《相違点》
ただ相違点もあります。
①消費によってなくなる/なくならない
宝石は消費によってなくなりません。何回でも使いまわせ、相続したり、質にながしたりできたりします。無くならないことで、この地上に執着しているかのようです。ですので、ワインが消費によってなくなってくれてよかったと思います。消費されて物質として消えるとき、存在が昇華され、天使の歌となるのだと思います。そういうワインが美しいではないですか。
②楽しみ方が視覚/味覚嗅覚
視覚的な生き物の人は宝石のほうがいいのかもいれません。
③女性/男性がはまる。
女性が宝石にはまり、男性がワインにはまるというイメージがあります。
本当に宝石に女性がはまりやすいのか・・・ということは正直よくわかりません。
もっというと、宝石の美を見出す人は、女性に多いのか、よくわかりません。
ワインに関しては、はっきりいえます。男性にワインを美でありワインごとの相違を見出す人が多いです。女性は味覚嗅覚が優れているのかもしれませんが、心の底からそれを求める人に、あまりお会いしたことがありません。
これに関しては、宝石/ワインという対立軸が間違っているかもしれません。
人と人間関係/モノに対して、それぞれ、女性と男性が入れ込む傾向にあるといった方がいいかもしれません。(ただ個体差があるので一概に言えません)
女性的な視点からすると、誰とワインを飲むかが重要なのかもしれません。
そして、どんな料理をともにし、どんな会話をして、それが何かの記念日であったりすることが喜びを得られるのかもしません。
自分は、誰と飲んでも、どんな料理とともにあっても、どんな会話であろうが、記念日でもなくても、ワインが素晴らしければハッピーです。逆にどんなにその場が素晴らしくても、ワインがNoであれば、後悔していたりします。そのモノ自体が大事であると思っています。
これは極端な視点ですが、関係性の中に身を置き調和が取れることに喜びを感じる女性性と社会的不調和を介さず追求する男性性の違いだと思います。(なお男性であっても女性性を有していますし、女性でも男性性を有していたりします)
そういういみで、視覚的な美であることが、女性が宝石を好きという理由にはならないのだと思います。
紅茶
新しく中国紅茶が届き、今日の休日は朝から紅茶三昧でした。
淹れ方としては、湯温を下げることと葉っぱがそのままコップに入っていることが現時点での最良の方法と思っています。温度は沸騰させた直後だとえぐみがでる経験を過去してきたので、いまは湯気が収まる程度まで待ちます。以前はティーポットで紅茶を出し、コップに入れていましたが、コップに直接茶葉を入れて、飲むときに茶葉が入っている方が風味が高く深みもいいことが分かり、今では次のようにしています。
紅茶の淹れ方
1.お湯を沸かします。
2.湯温を下げます。
3.お湯をワイングラスに入れます。量は、グラスより半分以下がいいと思います。
4.注いでから触っても何とか触れるくらいの熱さであることを確認します。
5.茶葉を直接グラスにいれます。
6.茶葉が沈むのを待ちます。
7.沈まない茶葉が気になる時には、取りましょう。
ワイングラスは、ロブマイヤー、バカラ、アンピトワイヤーブル、木村硝子のロブマイヤー3小さい版などを試しましたが、今のところは、アンピトワイヤーブルのタステールかグラスⅢがいいと思います。(タステールのほうが香りが高まりいいです。)
どうやらワインと違って、ノイジーな香りがないためグラスの口径が狭いほうがいいと思います。(補足:リプトンなど大量生産の茶葉は想定外です。茶葉が破砕されたものも想定していません。フレーバーティも想定外です。茶葉が大きくても大量生産のものについては良く分かりません。)これはワインは望まない香りもあるためアンピトが適さないこともあります。
中国紅茶を愛飲すると、ワインと違って甘くないところ、果実味がないことがうれしいです。
ブルゴーニュは全く完成の域に達していない
今日飲んだ中国の紅茶( 雲南古樹紅茶)に、ブルゴーニュに求めていた甘く切ない妖艶な香りがそこにあった。こういったブルゴーニュを気軽にのめればいいのだが、82のグランドリュまで登らないと見つからない。このころのグランドリュといえば、いい話を聞かないし、今でいうところの農法、保管や輸送の品質は悪かったであろう、ワインである。だけれども、秀逸でない土地のワインをいかにテクニックでタンニンを丸くしようとも、そして輸送を完璧にしようとも、至らない世界がありありと見える。結局、特上の世界の土壌に手が届かない時点で、この趣味には行き詰まりがある。ブルゴーニュ意外にブルゴーニュ以上のものもあるわけがない。
なので、ブルゴーニュはもう終わりです。
上記の紅茶の茶葉について、次のようでした。
・樹齢100年以上
・自然栽培(放置)
・種から発芽、クローンではない
・枝を剪定しない。(剪定すると、樹勢がつよくなり、美味しくなくなる)
おお、理想ではないでしょうか。
これとダージリンを比較すると、
・樹齢100年以上→多分古くて数十年。最も古くて100年近いものがちらほらと。
・自然栽培(放置)→農薬バンバン
・種から発芽、クローンではない→クローンしています。
・剪定→不明だけれど、茶葉を見ると綺麗に切られているので、しているかと。
です。ダージリンティの期限は中国のお茶を作るために100年前くらいにインドを占領したことに起因するわけですから、歴史は浅くしょうがないといえます。ダージリンティは茶木が十分でないと考えられます。残念です。またダージリンも近年品質が落ちており、満足するものが買えません。品質が落ちているにもかかわらず、売価が上がっています。そしてどの農園も無個性になりつつあります。
我らのブルゴーニュは、自根でもないし、樹齢も低いし、クローンを使っていて多様性がないです。クローンを選抜して、フィロキセラ対応でアメリカの別の木への台木にクローンを植えるし、選定もバンバンします。そして、ますます、醸造のテクニックにより、ワインごとに個性の差がなくなってきているように思います。
良い土地のワインが買えなくても、下のクラスの土地でいいブドウの木があればまだいいでしょうが、それもできません。そもそもにして、ブルゴーニュで自根で、クローンを使わない増やし方をして、樹齢を100年以上にすることをできないが故に、「ブルゴーニュを飲んでもっとほんとはできるはずなのにこんな程度のワインしかできないのか!」「本当に見たい世界に連れていってくれない!」という思いが飲んだ後に湧き上がってくるのではないでしょうか。それを行うには、今のファーストフードの時代では無理なのでしょうか?
深み
案外4,5年前に飲んだときと変わりなく、熟成が進んでいないように感じる。相変わらずうまい。ブレットが最初はあったものの、ブレットが飛んだあとは、清浄で張りがあり深みをもっている。
最近のトレンドはクリーンで果実味があるスタイルであり、タンニンを意図的に弱くしている。こういうワインばかりになってくると、今一つ楽しくなく、もっと野性味を主張してほしいし、なにより、クリーンに仕立て上げたがゆえに、深みに欠ける。甘さとは違う。深みは、一朝一夕では身につけられないものであり、テクニックでもそれを出すことができないのではないだろうか?故にクリーンで甘いだけのワインが出回っている。
深みは、蔵の酵母と畑の個性により作られる。故に深みのあるスタイルにはなかなか出会うことができない。なおおしゃれなレストランで飲むトルショーより、こういった雰囲気のなかで飲むトルショーのほうがマッチしているのではないだろうか?