ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

ワイン好きの入り口

ワイン好きの入り口(1) | リアルワインガイドの横側 - 楽天ブログ

なかなか素敵な議題だったので、考えてみました。

 

私の周りには同世代のワイン愛好家は沢山いますけれど、残念ながら私の周りの若い知り合いでそのような道を歩んでいる人の割合が減っているように思えます。
 
ワインは飲むんです。でも、どっぷりと深くはまらないというか、今日はワイン、明日は焼酎、明後日はウィスキー、みたいな気分次第で飲み分ける感じ?
そもそも昔程お酒に思い入れが無い印象もあります。
 
そのような事ではこの先、ワイン業界もヤバい事になってしまいますので、どうにかして若い方に対して、アルコール飲料の中でのワインの序列を上げていかなければならないと思います。

 

どうも基本的なところで認識が異なっていました。

「若い人にワインの愛好家が減っている」

ということですが、そもそも、ワイン愛好家という分類の人間自体がもともと少なく、出会わないだけではないでしょうか。自分はどの年代でも一定数の愛好家がいるように思います。ただ、値上がり故に、有名ブランドや、王道の産地を深く経験する機会がないだけではないかと思うのです。

 

私の持論としては次のように考えています。

ワインを深く好きになるか否かは、

 

①香りと味を知覚できる

②香りと味を記憶できる

③記憶された香りと味を記憶の中で再現できる

の能力があることが必須条件です。

これらが無ければ、違いも分からず、探求する意味もなく、ブランド品としてのワインであったり、人と仲良くするための道具としてのワインであったり、食事のお供としてのワインであったりするにとどまります。ワイン自体を味わうことができないため誰と飲むかが大事になったり、ワインをストックすることが目的になったりします。

 

そういう能力が備わっているもしくは、伸びしろのある人は、分かりやすい入り口がなくとも、必然と導かれるように、分かりにくいものであれば整理し、ますます深部に入っていくでしょう。

 

危惧することといえば、そのような人がワインにはまらず、別の分野にいくことです。

ですが、もしかすると、我々も別の分野を好きになっていたかもしれません。本当は別の分野が良かったのかもしれません。なので、ワインを好きになってもらえればうれしいし、別の分野に行くのであれば、それを教えてほしいと思ったりします。

 

ただ、①、②、③の能力を持つ人というのは多くなく、ほとんどは深くまで分け入ることをしない(できない)ことが普通です。そういう意味では、分かりやすい入り口があったほうがいいのかもしれませんが、そのような入り口は、

誰でも知っていて、皆が入り口としてお世話になる有名ブランドを作る事です。出来れば典型的な味わい数種類がラインナップされていて、価格の割には美味しくて、好みや味わいの違いについての理解が形成できて、徐々により高いレベルのワインを飲みたくなるような…。

なのかもしれません。20年前のブルゴーニュボルドーですね。

 

思えば、ブルゴーニュのアペラシオンなどはまさにその役目を担うものであったはずなのに、村名だけでもガクブルの金額になりあがりました。アペラシオンというのは、分かりやすいように便宜的に定めたシステムで導入にはよかったのですが、金額的に広域→村名→終了では、Why ブルゴーニュ?のAOCの意図した回答に行きつきません。

 

①、②,③に条項を加えるなら、

④ 外してもさらに挑むガッツを有する

⑤ 一途である

⑥ 同じものを食べ続けても飽きない、むしろ違いが分かって楽しい

といった、メンタリティを持つそんな方が、ワインの趣味に適しています。

深く反省

ポル・ロジェ ピュア 【ブリュット・ナチュール】(ノンドゼ) 税別¥6300-

他、ノンドゼのいままで買ったことのない6000円以下のシャンパーニュをいくつか購入しました。

ラヴァルやダヴィットレクラパールは美味しいのですが、いろいろと飲んでみたいではないですか。

その一本目をあけてみたのですが、これが、いけていなかったです。
何がよろしくないかというと、

・産地不明

ピノノワールを多く感じる。結構どんくさい。

・農薬ありのワインによくある、”硬さ”を感じる。

・味がデジタル

・面白くない

 

あまり安くないのに、このクオリティ。

ポル・ロジェ ピュアは間違って2本買ってしまったので、まだ一本ある悲しい状況です。

なによりも楽しく飲むことが大事、ニュイ以外なら

2005年のエシェゾー(ドメーヌ・コカール=ロワゾン=フルーロ)を自宅でいただきました。半年前の16年冬より少し開きつつあるようです。ただ、まだ美味しい時期ではありません。

 

ニュイを大別をするなら次のように分けることを提案します。

★ヴージョグループ(ヴージョ、フラジェ村、ミュジニー)

・ヴォーヌロマネグループ(ヴォーヌ村、ヴォーヌ隣のニュイサンジョルジュ)

・ジュヴレグループ1(ジュヴレ村中央斜面、ニュイサンジョルジュ南部)

・ジュヴレグループ2(ジュヴレ村南部、モレサンドニ

・ジュヴレグループ3(ジュヴレクロサンジャックの丘、マルサネ)

 

エシェゾーは基本的に内向的で欝々としている印象をもっています。下部に行けば重い味で停滞感があります。上部にいくと今度は寒くタンニンが未成熟で攻撃的になります。ミュジニー側によると黒から赤系のトーンが強くなります。それが明るいのかと言われると少し狂気のようなニアンスがあります。

このエシェゾー単体で捉えるより、ヴージョとミュジニーを加えて俯瞰的に見ると、このグループの欝々としてかつ肉体的、言い換えると幻想的な味ではなく、物質的な味わいとなります。

 

ですので、エシェゾーを飲んで楽しいという気分になることはありません。

この特徴は、ニュイの本質であると思うのです。

基本は緊張と内向です。

なので、ニュイを楽しむという行いは、解放とは逆の方向にあるはずで、

残念ながら外向的に楽しむためのものではありません。

古酒会

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●評価

・オスピスドボーヌ86VeryGood!! はかなげであり消えそうでありながら
 必要な香りを保ちバランスが取れている。細長く続く余韻とドライフラワー
 香りがいい。

・ヴォーヌロマネレボーモン87GooD。
 ドライでタニックで果実が弱い。香木、炭、ドライフラワー
 香りを個々の香りではなく一つの香りとしてうまく纏まっているところを評価。
 個人的には果実がないところが大好き。
 また下部の味わいがなく、上部の味わいしかないところも上記の
 香りとマッチしておりいい。
 

・一方、アルマンルソーマジ82・・・沢庵 VeryBad、
 モワラールグリヴォ―82エシェゾー ・・・微かにブショネ Bad

・ラ・グランドリュ83 ・・・ 状態良いものの、エロティックな香りが出るまで
 は至らず。82のグランドリュと比べて濃厚で強い。タンニンが優しいので、
 ワインの寿命が先か、エロティックな香りがでる熟成が先か微妙。

 いまだ全開ではない状況。

 

●余談

・ラマルシュ83は蔵出しでラベルを蔵で張り替えたとのこと。そのため、ラベルがフランソワラマルシェではなく、ドメーヌラマルシェと表記されているとのこと。

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ジェスタ
 古酒会のあと、有志で店のエルヴェジェスタン06を飲みました。
 このお店でジェスタンを何本買おうか検討していたので、ちょうど良かったです。
 ジェスタンの裏ラベルにはドサージュ3g/lとありました。0と思っていました。

 店長いわく3gじゃないそうで。(自分は10~15gに感じました。)

 ジェスタン06はラヴァル(シャルドネ)とブノワライエ(ピノ)だそうで、
 ダヴィットレクラパールではないんですね。

 味わいのほうですが蜂蜜のフレーバが濃厚で、うちからでる力強さにあふれ、
 飲んだ後、喉ぼとけにエネルギー感が残り熱くなります。
 重心は低く重い。
 また樽熟成のニアンスが出ている。

 一つの個性が際立つのではなく、複数の個性をまとめ、万人受けを狙った感があるが
 万人受けしない体になってしまったワイン。このワインを良いと思う人は限られる。
 多分、大手メゾンのものが基本好きでありつつも、
 昔のように甘く、重低音な味わいを持ち、熟成した暁のスタイルを待ち望む人
 なのでしょう。ジェスタンがいうように、まだ早いのでしょう。
 
 シャンパーニュにこれらの「蜂蜜、甘い、重心が低い、樽」のキャラクターは今
  求めていないため、全く興味が湧きませんでした。買わなくてよかった。

シャンパーニュピノノワールの価値

 常々、シャンパーニュ地方のピノノワールはどんくさく、エレガントから
 遠いと思っていました。もっさい、もっさ味になってしまいます。
 ブレンドに少し入れるのは味わいの幅になりいいのですが、
 ブランドノワールなど、なんの存在価値があるのか疑問でした。
 それを酔った勢いで、ブランドノワールを好きなわたなべさんに聞いてみました。

 [わたなべさん回答] ブランドノワールのもっさ味が料理に合うため。

 晩酌しながら食事をされるそうで、食中酒として高くないシャンパーニュ
 飲まれておられ、ブランドブランでは食事と邪魔し、もっさ味のほうが食事の
 邪魔をしない・・・そうです。これには納得がいきました。

 ただ、これは常識なのでしょうか?
 ちゃんと、知らない人には、シャンパーニュのピノは
  もっさいのでシャンパーニュのイメージと違いますよ・・・
  って説明してあげたほうが業界としてはいいのではないでしょうか。
 
 とはいえ、晩酌しない自分には関係ないワインと理解しました。

 例外があったらすみません。
 (例外さん、お待ちしています。)

 

一度行ってみたいワインショップのワイン会に行きました。

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表参道のワインショップで気になっていたお店で、ワイン会に参加させていただきました。食事はなく、ワインだけというスタイルです。常々ワイン会に料理が出てくると、ワイン→料理→ワイン→・・・という流れになり、料理の香りがワインを邪魔します。

肉系は良くありませんが、カニなどはもっと香りが強く、ワインの天敵です。

また、ワインの飲みたいのに料理が出てくると放置することもできず、冷めないうちに食べることになります。そうすると、その間に、ワインの香りを取れなくなります。その上ワイン会なのでグラスを多く並べることになるため、料理のスペースがワインの邪魔になります。ここでは、料理もなく、ワインに集中できてうれしいです。ワインはブランド、ログマイヤーグラススリーで。グラスを使いまわしせず、オールロブマイヤーというのも素晴らしい。西方さんのワイン会は数客で使いまわしですし。

[ワイン]

1.2012 bernar Moreau Chassagne-Montrachet LaMaltroire

2.1993 Potinet-Ampeau Meursault Laes Perrieres

3.1992 Verget Puligny-Montrachet Les Pucelles

4. 1996 Pierre Ponnelle Montrachet

5.1988 Joseph Drouhin Montrachet Marquis de Laguiche

 

ラインナップを見ていただくと結構いいものがならんでおり、モンラッシェが2本もあります。同じ値段だと西方さんのワイン会だとモンラッシェが1本で後は村名以下になるので、とてもうれしい誤算。こちらのお店はセラーが横にあってすぐ出してくれるので、輸送してすぐ飲ませる西方さんの会とは違います。おっと、あまり西方さんと比較してはいけませんね。最近全くいっていませんし。今は素晴らしいサービスに変わっているかもしれません。(西方さんに恨みはないのですが、もっと頑張ってほしいと思っています。料理屋とのコラボレーションが中心で今はワインが後出しになっています。ワイン好き相手では儲からないと判断してビジネスを展開中なのでしょう。確かに貴重なワインは手に入りにくくなっていますし、しょうがないのですが、看板名が泣いています。)

脱線してしまいました。またワインのコンディションもよく、ショップで輸入し、状態が悪そうなものは返却し、しばらく安置させるだけで、普通のことをしているとのこと。ん~、ラターシュさんは近年良いものが入らなくなっているとぼやきドンドンラインナップが3流生産者に偏りコンディションも悪くなり高くなっています。ラターシュさんいわく、市場に古酒はなくなっていると言っていました。確かにロンドンの品などなくなっているので、全般的にはそうなのでしょうが、コネクション(とお金)のある人は、こうやって引っ張れることを雄弁に物語っています。

状態の良い90年代を飲めるとはおもってもいませんでした。

 

一番心に残ったのは、ポンティネアンポーのムルソーペリエールでした。

このワインは最初ロウの香りが強く、アロースの平地部分をイメージさせました。ヴィンテージは99年だと思いました。その後、次第に還元香が強くなり、沢庵の香りが支配的になり、2時間ほどして、沢庵の香りが飛ぶと、透明感あふれる味わいに昇華していました。

この年はボトリティス菌が繁殖した年で、ロウのニアンスもそこに由来していたと今思います。ヴィンテージが99と思わせたのは状態の良さと、熱さを感じたからでした。

 

またヴェルジェの92ピュセルはピュリニーのコンボットソゼと思いました。ヴィンテージは93くらいかと。銘柄オープンされると、ピュセルをヴェルジェのバトナージュ多めの造り!といううまくかわす銘柄選定でした。

96のピエールポネルのモンラッシェは、シュヴァリエかフォラティールと思いました。とても冷涼感があり、標高の高さを感じました。とてもピュリニーらしい造りです。この冷涼感はヴィンテージ個性で、温度が上がった後のボディに着目していれば、フォラティールと言わなかったと反省しています。途中からボディが大きくなり甘くなっていきます。96はブラインドだと外す年です。

88は最初からオープンで、まあいいのですが、これなら、シャサーニュ・マルキドラギッシュで十分かと。

 

モンラッシェを2品のみ、ミッドのふくらみがありつつも、香りの高さがありさすがと思いました。が、やはり重く、消えそうな儚さを白に求めたいので、モンラッシェはファーストチョイスにならないと思いました。

楽しかったです。

 

フィリップパカレに聞きたいこと

  1. パカレのボージョレーヌーボーでリリース直後と1年置いたものを同時に飲んだことがあります。その時1年寝かしたワインは、パカレのコートドールのワインと同じニアンスでした。なぜ、買いブドウでかつ、蔵も違うと思われるのにも関わらず、同じにパカレ風味が生まれるのでしょうか?
  2. パカレ特有の香りが10年頃から近年抑えめになっているように感じます。造りに変化はあるのでしょうか。
  3. 2001年、2002年ごろ、試行錯誤されていたことはなんでしたでしょうか?
  4. 赤に比べ、白はあまり経験がありません。2009年頃のムルソーペリエールくらいです。その時飲んだペリエールは90年代のクラシックさを感じました。白に関してどのようなビジョンで作られているのでしょうか?
  5. スパークリングを作られたら、どんなスタイルを目指しますか?
  6. シャルドネの最適地はどこだと思いますか?
  7. ピノノワールの最適地はどこだと思いますか?最適地の条件はなんでしょうか?
  8. AOCやコストや時間・年数を度外視して、ブルゴーニュにおける最上のワインを作るためには、どこでどうやって何の品種で作ってみたいですか?
  9. 近年のパカレのピノノワールのワインはタンニンに関してより抽出を抑えているのでしょうか?樽のタンニンについてはどう考えているでしょうか?
  10. ジュヴレシャンベルタンはどこの区画からでしょうか?
  11. パカレのジュヴレシャンベルタンとベールエール、どちらがジュヴレらしいでしょうか?
  12. 13年のジュヴレシャンベルタンを寝かせる意味はあるでしょうか?
  13. ブルゴーニュの熟成に、タンニンは重要でしょうか?
  14. 新樽、古樽どちらが長熟のワインに向くと思いますか?

つづく

代替商品が無い世界

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ルフレーブはピュリニーにあってほしい透明感、空気の澄んだ体感温度が低い感覚、
アニスの香り、を備えており、かつ、不要なものを感じさせない。クラヴァイヨンはルフレーブの中でも最も控えめなスタイルで、シュヴァリエ・バタールの暑苦しさやピュセルのケバさがなくいい。別の生産者の95バタールを開けたところ、バトナージュが強く、ピュリニーの良さを殺していた。やはりピュリニーはルフレーブかと思う。
ところで田中さんのブログで次のように言われていた。

余韻の長さそのものはヴィラージュの限界はいかんともしがたく、そこだけに着目するなら今のブルゴーニュの値段は高すぎます。それはインポーターの責任ではありません。世の中に素晴らしいワインは山のようにあるのに、ブルゴーニュのようなブランド産地、それもジュヴレやヴォーヌといった有名な名前しか覚えようとせず、そればかり買おうとする消費者の責任です。いい加減目を覚ませと言いたい。

 とはいえ、実は消費者を責めるわけにはいかない。世界数十か国の全アペラシオン全生産者全品種全ヴィンテージの味を記憶している人など原理的にいるはずもない。自分の好みのワインを世界から選ぶのは難しいばかりか不可能なのです。だから知っている範囲から選ぶ。他の商品を考えても、それはむしろ普通の消費行動です。

Wineplat11社合同試飲会: Katsuyuki Tanaka's WINEDOO

より

おっしゃられることは分かります。ワインをブランド品として味わうのを見ると同じ思いを持ちます。ですが、翻って自分のこととして考えると、ルフレーブこそTHEピュリニーと考えたくなり、ルフレーヴがあればもういいか・・・とも思わせてしまいます。

もし、ルフレーヴの代替商品が別の産地にありそれが1万円でかえるなら、ぜひ乗り換えたいです。しかしながら、そのようなワインは知らず、こうしてルフレーブを開けるしかないです。いくら値段が上がっても、ルフレーヴしかないのでしょうがない状況です。多分、ルフレーヴの代替品が容易にあるのであれば、値崩れもするでしょう。そこまで消費者は馬鹿ではなく、田中さんの視点より一部の消費者はブルゴーニュを深く愛していると思います。

 

皆がそれを承知で買い続けているのは、すべての消費者がブランド品として使っているというわけではなく、内容を理解し代替商品が見つからず、しょうがなく購入している人も多数いるのでしょう。

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今のブルゴーニュは面白くない、というのは、値上がり/市場の拡大に伴う良品の品薄/古酒の枯渇/生産者の努力・チャレンジ不足といったところが挙げられる。また突き詰めて飲んだ年数に応じて、新しい発見が減ってくるところは大きい。

なにより、Yさんのワイン会がないのも、面白くありません。

 

平野弥さんやワインホリックさんがコンディションの重要性を説かれますが、彼らがそれを強みにしているからであろうという点を忘れてはなりません。また彼らはあなたにとっての飲まなければならないワインをいっているのではなく、基本の”き”であるコンディションを言っているに過ぎません。

ワインというのは人によって、何を飲まないといけないか違っています。
ブルゴーニュにおいていえば、自分にとっては、特殊な個性であり、ブルゴーニュの何かを象徴したようなものを求めています。実はそういったものは、希少性が高いものであることが多く、正直なところそれの重要性を説いてしまうと、ワインビジネスとしては成り立たなくなってしまうので、インポータやショップにとってはあまり口にしません。

 

例えば、昨日飲んだ、1985ヴォーヌロマネ モンジャールミニュレ、は一つのアイコン的なワインでした。ボトル上部と中部・下部の味わいが全く異なっていました。見るべきは上部でした。上部は、本体自体の味わい・香りは全く冗長ではなくただクリーンで無為。余韻は強さはなく終わりを感じさせない、いつ終わったか分かりません。綺麗すぎるとワインは無個性となるということを確認できました。

一方ボトルの中部と下部においては甘みが目立ち、沢庵香もでていました。なお、上部の1杯はとっておき、1時間程度すると甘みがでてきて中部と下部の個性がでてきて個性のあるワインになっていました。

もう一つ言及するのであれば、Theヴォーヌロマネとは、このときの上部のワインがキャラクタの本質であると思います。粘土でありながらもタンニンの重さを出さないところになぜヴォーヌロマネでなければならない理由です。

このようなワインは、作られてすぐ現れるものではなく、30年寝かせて一部のもののみが纏うキャラクタです。

 

前述したようなモンジャールの上部の味わいは、ロマネコンティやベーズの当たりを思い起こさせられます。

改題 ビオディナミのジレンマ

ビオディナミの矛盾からタイトルを改めました。

 

ワインはアルコールを含みます。
人智学(ビオディナミ人智学に基づく農法)ではアルコールの人への悪影響について20ページほどの紙面を割いて語っています。人智学を学ぶ人はまじめな人が多く、禁欲的で、シュタイナーが否定的なことをいっている場合、対外的にはアルコールを好きだとは言わない(いえない)雰囲気にあります。ですので、ワイン自体、人智学的に微妙な立ち位置にあると言っていいと思います。

そんなワインをビオディナミの考え方でつくるというのは、どういうことなのか?
そこにジレンマを感じるはずです。

 

人智学というのは、神の究極的な視点ではなく、人に必要な視点で霊的な世界を理解する学問です。人智学は3つに分解し説明することを好みます。物質的-私-霊的といったようにです。人智学のスタンスは物質によってもいけないし、霊的なスタンスによってもいけなく、その中間に人は位置しなければならないと考えています。また、この場合の物質的と霊的に該当するのが、ルシファーとアーリマンの悪魔であり、この二つの悪魔のおかげで人は自我を作りだしたと考えています。

人智学において、「悪魔」という悪ではありません。悪魔というのは、進化から逸脱してそこにとどまった天使です。人智学で善悪で世界を割って判断するスタンスに立っていません。

なので、アルコールがいかに悪い影響があったとしても、シュタイナーは禁止しなければならないとまでは(近いことはいっているが)いっていません。またシュタイナーはアルコールのほかにもジャガイモにも厳しく否定的です。

シュタイナーは結構思い込みの強い人で、嫌いなものは徹底的に褒めない(いいところを認めない)ところがあります。また当時の1920年代の人向けに語ったものですので、今の時代に合わないのかもしれません。

ですので、アルコールの影響をえこ贔屓なく捉えなおし、人の健康の側面から切り込むことで、アルコールも何らかの必要性がでてくるのではないかと思っています。★

またその一方で、人智学は人を理解するために、植物や動物を霊的に説明しています。その考え方を応用して、霊性を考慮したワイン造りを提言できるはずです。これがビオディナミとなります。★

この二つの★を紐解くことはシュタイナーの時代では終わっておらず、現代に託されています。なので、まだまだ発展途上であり、もしかすると、ワインというものはやっぱりいらないものであったという結論かもしれませんし、もしかすると、霊的に重要なものであったという結論なのかもしれません。

ビオディナミの矛盾

エルヴェジェスタンは、醸造におけるビオディナミを目指している。ビオディナミ人智学の考え方に根差した農法を意味しており、この場合、農法ではなく、醸造であるが。

さて、ジェスタンが何を目指しているのか、ワイナートを読んではみたが、よくわからない。ワインを一つの生命とみなし、生命を育てるために、アプローチをするといったところなのだろうか。(読み込みが甘くてすみません。)

 

ジェスタンがどういう思想なのかおいておいて、ワインを生命体とみなし、成長を補うという観点で醸造のあるべき姿を捉えなおすということはビオディナミのメソッドとして正しい論法であるといえる。

ただ、それは農法であり、人智学の視点ではない。

人智学はあくまでも人を中心に捉えた思想・方法論である。そのため、人を中心に見据えていないビオディナミというのは、着地点のない議論のようなものである。すなわち、
ビオディナミにより育てたワインとは、霊的にどのようなものなのか?
②そのワインを摂取することで、人は、どのような作用を受けるか?
③それにより、世界へ何が与えられるか?

ということを考え、完結するといえると思う。

 

シュタイナーの思想に立ち返るなら、まず、食事とは何かである。
食事とは、太陽の光をエネルギーに・・・

 

眠いので、つづく・・・