ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

シャンボル


2009年シャンボル村名を3生産者
・アミオ・セルヴェル
・ユドロ・バイエ
・ジャック・フレデリック・ミニュエ
ほど飲みましたところ、あちゃー、という感想を持ちました。
すべてにおいて、ジャミーで、黒果実で、酸が低くて、
タンニンは低いけれど、アルコールの高さから厳つくて、
そしてなにより、飲んだあとに、熟しすぎた甘さ、ある種
熟しすぎた果物が腐ったように感じるかのような、にごった甘さ
が残っていました。
ミニュエも例外ではありません。



アミオセルヴェルに関してはジャミーな果実が最初に来て、
その後ぶっつと終わる、もっともよろしくないパターン。
センスがない。

ユドロバイエに関しては、もう少し余韻があるものの、
低音浸漬の不自然な抽出。軽く、木目が荒く、酸が尖っていて
刺すようなタンニンを感じる。時間を置くと、脆い構造が
露見する。しなやかなよさを感じない。

ミニュエは最初は茎の青さを感じたものの、時間を置くと
コーヒーのローストした香り(樽香)が支配し、それも時間
とともに消える。前の二つより爽快感があり、赤果実が
見え隠れしている点が救いだが、それも高いアルコール感が
微妙。
なお、09レザはポートワインのような味わいだそうです。
ということは、奪い合いになっているミニュエのミュジニーに
関しても危険な状況であると思われる。
実店舗にミニュエの09ミュジニーがあって、色調をみましたが、
真っ黒でした。このワイン、買ってもおいしくなる時期は不明。
(そのまま終わってしまう可能性もありそう)



2008ダヴィド・デュバンは、余韻も短く、スケールも小さく、
よいところは2008年の酸を持っているだけで、鑑賞に値しない。


1995クルティエセレクション シャンボルミュジニー1erシャルム
は、95にしては不自然に枯れ果てている。ポテンシャルを感じない
上、保存環境もよろしくなかったように思われる。飲む価値なし。




まとめとしては
・シャンボルにおいても、村名を飲んでも、村の特徴や本質を
 (全く)理解できなかった。
・今回飲んだものは03シャンボルのライト版。シャンボルらしくない。



ところで、09が売れているらしいけれど、自分にとっては遠い世界
のように聞こえてきます。甘いワインはのみ安いかも知れませんが、
それだけのものに過ぎないと思います。

販売側にとっては、新しいヴィンテージは纏まった量を仕入れること
ができ儲けにつながりやすい。だからといって、これを褒め称えるのは
良心に欠けると思います。

また、これをおいしいと思って買う人々は、煽りに乗せられている
のでしょうが、それに乗っているのは、味が分からないのではないか、
もっというなら、甘いものや分かりやすいものは楽しめるけれど、
それ以外はちょっとという味覚なのではないかと、推察します。

実際に、味覚が発達していない人でも十分楽しめるのは、甘さです。
甘みは生命活動に直結しているため、ほぼすべての人が標準で、感知
できます。しかしながら、それ以外の要素に関しては、センスや
経験が必要になってきます。

昔、大学の頃の先輩で、全く好き嫌いがない人がいたのですが、
なぜ好き嫌いがないか、よく聞いてみると、味の違いが分からない、
分かったとしても、気になるレベルではないそうです。そんなことを
思い出しました。

結局、添加物や、旬でない食材や、畑で完熟していない野菜しか
食していない食文化の日本では、平均的な味覚の程度は知れている
ように思います。
別に全体の程度が低かろうが、単にそういうレベルであるという
だけなのですが、それを、
ワイン関係者は、日本人の味覚の繊細さを強調しますが、
それは09がはやっていることからも、残念ですが
ありえないでしょう。





とはいえ、味覚がないこと自体、騒ぐほどのことでもないのかも
しれません。


一流の音楽家になるには、絶対音感と、芸術を楽しめる感受性が
必要で、それらを交互に働かせて、偉大な、音楽活動をしている
そうです。
そして味覚も同じ様なものだと類推でき、
「絶対味覚」と「味わいを楽しめる感受性」
を有することが一流の条件なのでしょう。

絶対音感がなくてよい音楽は奏でられないかもしれませんが、
それなりに楽しめ、生きていけます。味覚も同じかもしれません。

これを読んでいるあなたには絶対味覚があるかもしれませんが、
全体音感がないかもしれません。ただそれだけのことで、
大して騒ぐほどのことでもないような気もしてきました。

ひとつの能力がすべてではない・・・と。