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   繊細なジュヴレか、82グランドリュ、もう一回飲ませて!

ピュリニーモンラッシェ 

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①アグラパール シャンパーニュ・ミネラル 2005年・泡‬‪

アヴィーズとクラマンの村からのグランクリュから。

力強さと硬質感は備わっているが、中身が無い。若いからか?いや多分無い。

中身というのは、集中、開放、立体感のある躍動感、そして、迷い、枯れ、光。

それらは熟成とともに備わるのではなく、現われるものであり、持たないものは持たない。

形だけ、偉大なシャンパーニュに模しているように感じる。

 

またアヴィーズとクラマンというブレンドも、相反しており、良くないかと思う。

そこは零細メーカの悲しいところかもしれない。一番いい畑をブレンドしてこられても、

そんな余裕の無さでは、中身は伴いません。出直したほうがいい。

 

②ジャン・シャルトロン ピュリニー・モンラッシェ・クロ・デュ・カイユレ 1993年・白‬‪

もっさり、こてこてバター味。余韻にあふれるコクがある反面、香りはあまり立ちません。また爽快なピュリニーらしいレモンが見当たりません。

この生産者は、赤を作るとき、1日に2,3回ピジャージュとルモンタージュを行います。そこからも、きっと、バトナージュと何回もして、いっぱい果実から抽出することを心がけるのでしょう。

 

もっさりこてこてにすると、爽快さがなくなります。

ではどこにピュリニー、そしてカイユレがあるのでしょう?

個人的には味わいにおけるアタックからアフターまでの間におけるつなぎの無さではないかと思ったりもしますが、もう少し考えてみたいです。

 

③ミシェル・コラン・ドレジェ ピュリニー・モンラッシェ レ・ドモワゼル 1993年・白‬‪

場所はカイユレにおけるモンラッシェ(ジョセフドルーアン)と接する区画。

残念ながらブショネさん。終盤まで臭くて飲めないレベルに成長しなかったことから軽微である。ブショネは香りはもとより、味わいにも影響する。果実が減退するし、雑味・苦味・エグミも加わる。それらも軽微であったので飲むことができた。

ブショネでなかったら、次のワインより素晴らしい一品だったであろう。

 

なにが偉大か?

それは、次のジャドに足りたいものである。

・味わいの継ぎ目の無さ、よどみの無さ、

・爽やかなレモン風味

 

ジャドにも備わっているものは、

・噛めるような味わいの厚み(とはいえ、真に偉大なものと比べると、劣る)

 

きっとブショネでなければ、あと5年待った後に、嬉しいことになっていると思う。

 

 

④ルイ・ジャド シュヴァリエ・モンラッシェ レ・ドモワゼル 1989年・白‬‪

本日の白の中で、もっとも健全であったワイン。

そして恵まれたヴィンテージで、恵まれた土地(シュヴァリエの横のカイユレの上の飛地)。

香りも、アタックも、ミッドも、アフターもいい。

悪い点としては、雑味が味の芯となり、ギスギスとさせ口の中で暴れ、つめを立てる。またレモンのような爽やかさが弱いものの、あることで何とか全体を引き立て纏め上げている。

ルイジャドを熟成させると、どんどんギスギスさを感じさせる。ゆえにトップにも踊りだせないし、マニアにも愛されないし、使い道が無い。いつもそう思うし、今日もそう思った。

ルイジャドのモンラッシェとシュバリエが2本づつくらいあるのだけれど、処分しなきゃ。

誰かに処分価格で譲りたいです。

 

⑤ジャン・パスカル ピュリニー・モンラッシェ・ルージュ 2009年・赤‬‪

よく、シャサーニュで、「ここは昔ピノノワールが植わっていたところだから、本当はピノノワールが適した土地なのだよ」という話を聞きますが、自分には腑に落ちません。なぜ昔の畑には最適品種が植わっていたと決め付けているのでしょうか?その根拠を昔からあるから・・・という状況に理由を求めるのであれば、説得力に欠けます。

シャルドネといまの栽培方法・醸造方法では不完全な味になるというなら、それは同意したいとおもいます。確かにそうだと思います。(ゆえに、工夫の余地があるのではないかと思っています。)そうであるなら、ピュリニーが良くて、シャサーニュが駄目ということにならず、ピュリニーもシャサーニュも駄目というべきです。

 

何がいいたいかというと、

・「この土地でシャルドネはよくてピノはだめ」

・「やはり昔のように混色混壌で、ピノグリやピノなどいろいろはいっていないとだめ」

・「自根がいい」

など、ひとつのアングルからの見方以外、NGとする考え方だと思います。

ミロのヴィーナスやニケなどを見るときに、「ミロのビーナスは正面やや下からみないとミロのビーナスではない」という考え方をしているのと同じです。どの角度から見てもそれはミロのビーナスであり、それぞれが真実であるといえます。

 

つまりそのどれを飲んでも結局は、ピュリニーモンラッシェを味わっているのであり、われわれは品種を超えて、その向こうに見えるものを見ないといけないのです。品種などに拘泥していては、本来の見るべきものが見えなくなります。テクニックの話としてはそれは面白いかもしれません。しかしそれは、屈折した、小手先のものであり、近視眼的です。

 

前置きが長くなってしまいましたが、このワイン、馬小屋臭とヨーグルト臭でマスキングされています。醸造環境が良くなかったことで馬小屋臭が備わり、瓶詰め後の軽い発酵でヨーグルト臭が備わったと思われます。その奥にサクランボ、イチゴのフレーバがあります。このまま置いておくと、さらに好ましくない発酵が進み、残念なことに成ると思われます。今飲んで正解なのでしょう。Wさんが前飲んだときには、もっとさらっとした味わいだったといわれました。多分リリースして間もない頃でしょう。それから1年ほどたち、好ましくない発酵が進み、色は黒くなり、果実が落ち、ギスギスしたタンニンが目立つようになってきていると推測されます。

区画はビアンヴニュの下で、好位置につけています。

造りは、マセラシオン10日間と短く、マセラシオン期間中最大35度まで上げるそうで、多分放置してあげるとこまで温度を上げて10日目でやめるスタイルと思われる(つまりあまり管理せずなすがままなされるがまま。)。樽熟は 10ヶ月で果実が残る味わいが仕上がっており、清澄をしない。とても素朴である。

味わいは単純で、引き出しもすくなく、一杯であきそうです。

以上、ここまで完成度が低いワイン、久しぶりに飲みました。最近は猫も杓子もテクノロジー・テクノロジーしており、こんな素朴なワインがあるんだな・・・と嬉しくなりました。いさぎがいいです。

 

視点を変えてみましょう。

このワインをブラインドで飲んだら、どこと答えるか?

自分はこの前飲んだ、ドミニクのマルサネのACブルを思い出しました。

継ぎ目のないすらっとしたたたずまい、果実に支配されていないドライな印象、タンニンはほどほどにあるものの多くなく、弱い、またちょっと荒く上等な畑とは思えない。それが共通点です。

Wさんは、ムルソーの赤だと。なるほど、J.プリウールでビンテージ違いでシャルドネとピノをつくり分けたムルソーとヴォルネイがありました。そのヴォルネイも同じようなニアンスがありました。

 

つぎのカイユレの赤とも共通するのですが、

・継ぎ目の無さ

・クールさ

です。品種の向こうにあるピュリニーとはなんなのでしょうか。

 

 

⑥アンリ・ド・ヴィラモン ピュリニー・モンラッシェ・クロ・デュ・カイユレ 1985年・赤‬‪

オールドローズの香りと色合いで美しい。レモンの柑橘系の香りが引き締める。

味わいはアタックからミッド・アフターに到るまで引っかかることがなく、スムーズである。タンニンはこちらも弱弱しい。 ジャン・パスカルと異なる点はタンニンが荒々しくなく肌理が細かい点にある。

時間とともに熟成に由来する香りが現われ、1時間ほどでエグミが現われ終焉を迎える。74辺りのDRCエシェゾーを連想させもする。

また、複雑さは全く無い。

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ここに、品種を超えたピュリニー像を描くなら、

・味わいの継ぎ目の無さ、よどみの無さ、 爽やかな風味を持つ。ミネラリー(石灰)。

・反面、複雑さに欠ける。

ニュイにおけるグランクリュを頂点として考えたとき、複雑さはそのひとつのシンボルである。最近、その風潮がいかがなものかと考えている。確かに複雑なものはいいが、複雑でないことによる、洗練された美というものも一方で存在する。ピュリニー(少なくとも1erのカイユレ)は複雑さを売りとするのではなく、よどみない美しさを表現するものであるように感じた。

やはりピュリニーは一流の区画である。

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