ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

クリスマスイブ

ワインを飲む目的は何なのか。

回答例:

①人と仲良くするため

テロワール、醸造、ヴィンテージを理解するため

③美味しいから

 

①について

職場でノミニケーションの重要性を説く人がいる。わからなくはない。食を共にすると、人は心を許し、仲良くすることができる。その上、酒をともにすると、気持ちもさらに寛容になり、距離が縮まる。その上、美味しいワインならもっと仲良くなれる。ということなのだろう。

確かにコミュニケーションツールとしては、なかなかよくできた代物である。
だが、この場合のワインは手段であり、目的ではない。別にワインでなければならないわけでもない。いくつもある選択肢の中のひとつに過ぎない。手段は目的ではない。

 

②について

テロワール、醸造、ヴィンテージを理解することをゴールにしたとき、その価値には何があるのだろうか?ワインを深く知ることができる。それは正しいが、ではワインを深く知ることで何を得ようとしているのだろうか?何からの衝動でより深く知ろうとしているのか。ワインへの愛なのだろうか?愛は無償であるゆえに、それもひとつの答えなのかもしれない。

しかし、それだけれでは、精神の軸がなく、深まることが難しいように思う。

 

③について

美味しければいい。そういう考えもある。それは否定することがなかなか難しい。アントロポゾフィーにおいては、次のような考えがあります。

大宇宙を、自然を、調べつつ味わっている味覚器官を、私たちは実際どのように用いているのでしょうか?残念なことに味覚ほど堕落してしまった感覚はありません。もしも私が「お味はいかがですか」と訪ねる機会があるとするなら、皆さんはただ単純に「美味しい」とか「美味しくない」とお答えになるでしょう。そのように答えることが、すでに堕罪なのです。私たちが何かを味わうということは、宇宙の一片を迎え入れるということなのであり、宇宙の中で活動するための私たちの肉体や精神にふさわしいものであるかどうかを感じ取らなければならないのです。

 美味しければいいというのは、この世界に埋没した行為です。この世界に生を得たことで、世界に降りることの意義はありますが、再び登る必要があります。そうしたときに、美味しいから飲むという考えは、羅針盤としては頼りなく、目的としてはいけないのではないでしょうか。すなわち、ワインの奥にあるメッセージのある/無しを感じ取り、メッセージの意味を理解することがこそ、ワインの目的に足りえるのではないかと思うのです。

パンが私たちを養うのではない。私たちがパンの中に味わうのは、神の永遠の言葉なのであり、生命と霊なのである。(アンゲルス・シレジウス)

そのメッセージは、テロワールという形で表現されています。(フランスに限ったはなしではありません。)世界には、”繊細な場所”があり、そこを通じて世界の奥にあるものが表現されているのではないかと思う。