ブルゴーニュワインの感想

     所詮感想です。

男と女の間で広がるワイン観の溝

女性は、往々にしてコストパフォーマンスを意識する傾向がつよいような気がします。(男性もきにしているますが)

そこには、生活の延長にワインを存在させているのか、それとも趣味としての世界に切り離して存在しているのかの違いであり、趣味の世界として認識しているのであれば女性も同じようにコストパフォーマンスを度外視するのではないでしょうか。
女性は男性に比べて色々この世界における苦労ややることが多いのでしょうがないことなのかなとも思います。例えば身だしなみの服装や髪にも苦心するし、体は男性より弱いので食べ物の安全性にも気を配りますし、外的からの防護や恥ずかしいといった感覚も多いです。

ただ、とはいえ生活からの延長にない世界も存在することを認識してもらえると、そこに片足を踏み込んだものとしては嬉しいです。そういった人は質に対して真摯であり、世界に対してある意味厳しく向き合っているともいえます。一見ひねくれているようにも見えますが、それは純粋さの表れであり、付き合っていくにはいい人だと思います。


ところで、例えばルロワの2004を悪く自分は言っているのですが、それはコストを考慮せずあるべき品質を達成しているかということであり、普通に考えたら、同ワイン会のルロワ・ボジョレーですらとても美味しく飲めるものです。そういった意味ではこの会の全てのワインがすばらしく賞賛に値します。コスト面もすばらしすぎます。

でも自分は、美味しいか、美味しくないか、そこには、
・慣れた味わいなのか否か
・食欲が満たされるか否か
・体にあっているか否か
・生理的な反応の甘い、すっぱいが達成されているか
などそういった視点でワインを評価したいと考えていません。

論理的に話がつながっていなくて申し訳ないのですが、ビオディナミでも有名なR.シュタイナーは味覚についても言及しています。彼の考える味覚とは、摂取することで体にとって良いか悪いかという判断を下すためのものであり、そこから外れて、美食を追及することは堕落であると考えています。
それは自分も正しいと思います。
この発言の意図は、日常生活における味覚のあり方であると自分は理解しています。そもそも、体への良し悪しで考えると基本的にワインは必要のないものであり、グラスに一杯程度であれば差し支えのない程度のものではないかと思います。

この考えに対して、次の観点からワインに関しては例外と考えています。
ワインを追求することで求めているものは、世界の秘密や意味を味覚を通じてワインから開示されることであると思っています。それは通常の視覚によった世界の理解ではないところに、可能性があると思っています。

即ち自分にとって良いワインの基準は、
「より本質に近い世界観を開示してくれること」
です。

それは、前述した生命維持活動の延長にある味覚を基準とした、美味しいかまずいかではありません。美味しさを基準としたコストパフォーマンスも、またマリアージュするからいいといったものも違うと感じています。


よく、そこまで言わなくても、十分美味しいじゃない・・・
といわれますが、であれば、そもそもにして高級ワインなど飲む必要はあまりありません。それはそれで正しいです。

ただ、逆に自分には「十分に美味しいワイン」を飲む必要性がないので買って飲みません。ゆえにディリーワインを常備してディリーにワインを飲むことを見て、すごい散財だな・・・と見ています。ゆえに安ウマなど、縁はなくなります。フーリエのすそものが・・・とか、縁は多分ありません。(伊勢丹にいけなくなり、フーリエさんとは疎遠になってしまいました)

そうして、双方の平行線は続きます。