図鑑とワイン
図鑑にもお国柄があるそうで、イギリスなら、動物と背景をセットで書かれるそうだ。動物だけ取り出して書くのはフランスで、分類をきめ細かく分けることに長けているらしい。そうして、イギリスは環境を含めて動物を考え、進化論を生み出し、フランスは精緻な解剖学を構築したらしい。(「神秘学オデッセイ」(荒俣宏、高橋巌)より当方のかすかな記憶をたどって纏めた)
これは、
イギリスの図鑑・・・・ボルドー
フランスの図鑑・・・・ブルゴーニュ
を思わせる。
ボルドーは単体で飲むのではなく、食事のうちの1パーツとして存在し、マリアージュを前提に作られている。これは
ボルドーワイン・・・動物
食事・・・背景
と対応する。
ブルゴーニュは、その出生を解剖学的に徹底的に分解され、味わうことができる。ブレンドしたほうがおいしいことはわかっているが、それぞれのリューディ・クリマの個性を尊重し、ワインに表現する。
ボルドーのほうが動的であり生命を感じられるのに対し、ブルゴーニュは時間が止まり生命を感じられない。それは思想的に必然なのかもしれない。
その観点から、ブルゴーニュだけを飲むというのは、ワインの全体を捉えることができないといえる。つまり、なんでもかんでもリューディで分類し理解できない、ということを示している。ロマネコンティが優れているというのは、解剖学の世界でのみ成り立つルールであり、別のところに行ったら、異なる。
別の見方をすると、ブルゴーニュで、背景を、マリアージュを考えるのは、島国の隅っこにすむ当方にとっては邪道に感じる。リューディ・クリマだろうと。そんなことをするなら、ブルゴーニュを飲む必要はないと。
また、ブルゴーニュ好きとボルドー好きが同居できることも、自分としては理解できない。背景をいれたら、ワインそのものがわからないし、ボルドーはコンセプトが違うだろうと。そして、ブルゴーニュを飲むときに、「お肉が食べたくなりませんか?」といわれると、本当に同じものと向き合っているような気がしなくなるのには、納得がいく。