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   繊細なジュヴレか、82グランドリュ、もう一回飲ませて!

だらだら日記

■ルーミエさんこんにちは

ネットをだらだら見ていたら、ルーミエさんの2012年はすでに売り出されているようである。レクラは、シャンボールらしくなくていらないし、村名は混ざっているからいらないし(コンボットも独立したし、まあ、コンボットなんてxxx)、レザやミュジニーは見合わない価格になっているし。

 

■Iさん大変ですね。

某Iさんからセール通知が来ていた。相変わらず絶好調である。ここは高くなったし、面白いものが明らかに減った。なにか買ってあげようと皿のように見たが、見合うものがない。これまでのコネクションで仕入れなくなって、ビジネスが苦しいようである。3年くらい前までは玉石混合ながらも面白いワインを売られていたのだが、むつかしい世界のようである。ワイン以外の食品で選択肢を広げようで、名古屋の富裕層が好きなワインをセットで出されていた。路線が自分とは違う。Iさんのテクニカルな見識は尊敬しておりセミナーに行ってみたいけれど、名古屋なので残念。(こんなこといっていいのかな)

 

■音楽とワイン

子供の仕事に音楽はありか?
ということを考えてみると、音楽で仕事にできる人はほんの一握りであり、むつかしい。CDなどが出回る以前は、生の演奏があったのだろうが、今ではデジタルで置き換えらており、気軽に一流の音楽を聴ける。そう思うと、デジタル化は音楽の職業を殺したのかししれないという結論に至った。

翻って我らがワインについても、いつかはデジタル化されるのであろう。それは、既存の技術かもしれないし、未来のテクノロジかもしれない。(デジタル化と再現の二つを行うにはかなりのハードルがあると思われるので、遠い未来だろう。ただ、いつかはできる。)
もし、デジタル化されたら、人はアーカイブして、再生することで、新たなワインを創ることが停滞されるであろう。過去のものは精緻に記録され、検証され、理解できるかもしれないが、これまであったワイン文化は事実上消滅するであろう。そんな世界では、悠長に、ワイン会などというものを開いて仰々しく飲まないだろう。

 

先日シュタイナーの翻訳をされている、高橋巌先生の連続セミナーにいった。楽しいので、連続して出ている。その中で、昔、神は全知の存在ですべてを見通し見守る存在であり、錬金術の台頭から全知全能という位置づけに代わっていったそうである。いまもその延長にこの社会はあり、全知全能の神はいつしか、テクノロジーや権威・暴力に遷移しているように思う。ワインのデジタル化が進むと、ワインは辞典のように格納され、その辞典の権威が全知全能のように仕切るだろう。

ただ、そのころ(1000年後くらいか)には、人は更なる成長を遂げており、実際にはそうならないだろう。不要なテクノロジーをすて、本質に近づくだろう。我々の指導原理はそのころにはテクノロジーではない、次のものになっているはずである。

 

■シュタイナー的ワイン

ワインは現在自然(テロワール)の産物である。
しかし、時代とともに、自然(テロワール)としていた部分は人がコントロールできるようになり、不可侵な世界が狭くなっていく。それをフトドキとして、懐古的にもどるのも一興だが、次のように考える。自然(テロワール)は人にイメージを与えた。それを受け、人からさらなるイメージが醸成され、本来あるべきワインが作られ、世界に返される。
とてもシュタイナー的である。
シュタイナー的ワインは、「人工」で細部にわたり高い段階で創造される。

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