ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

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だらだら日記

■「ブルゴーニュ好き ⊂ シャンパーニュ好き」は不成立

ブルゴーニュ好きはシャンパーニュも好きというのは、常には成り立たないのではないだろうか。

一部のシャンパーニュは、生産者のルーツなのか、ドイツ的な共通点がある。急勾配で畑仕事をしないとか、醸造が人工的とか。それはなんとなく「ブルゴーニュ的」ではない。

また、ブレンドしているのも、ブルゴーニュの在りようと反発する。ブランドネゴシアンなどは、「シャンパーニュはブランドが香りと味をブレンドで作り出す」「収量は品質に関係ない。」などと豪語する。上記の「ブルゴーニュ好きはシャンパーニュも好き」という説を唱えるなら、広域の区画をなぜブレンドしてもブルゴーニュの精神(?)に反しないか理路整然と述べる必要がある。

T先生は、シャンパーニュは土壌が均一であるから、ブレンドしていい説を唱えておられた。が、個人的には、アペラシオンを制限し、それごとの個性を強調すると、それはブルゴーニュ精神につながると思っている。(そんなものがシャンパーニュに必要かは今は議論の対象ではない)

 

広域ブルゴーニュを好きな人であるなら、シャンパーニュは近い。だが、ブルゴーニュ好きとは、テロワールやリィーディを重視するものであると思っており(偏見)、その観点とシャンパーニュは相容れていない。「乾杯はシャンパーニュで」というテンプレもいらない。「とりあえずビールで」という人たちと同等の発想である。

 

■究極のワインは「シャンパーニュ」である

と、いまだ思っている。その「シャンパーニュ」はいまだ飲んだことがないけれど。

究極は、全て人の手で完成されるワインであり、未成熟なブドウを完成に昇華させる北限の場所である。といまだ思っている。あと、100年後くらいに作られるだろうか。それは、我々の知っている「シャンパーニュ」ではないかもしれない。案外、ドイツやアルザスかもしれない。