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   繊細なジュヴレか、82グランドリュ、もう一回飲ませて!

モレワインセミナー予習

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Guillaume Blanchard (Aoineko), June 2001

 

1995 コルトン・シャルルマーニュ ドメーヌ・キャピタン・ガニュロ

1996 クロサンドニ ルイジャド

馬小屋臭が強く、後味の残糖感が高い。テクニックでごまかした仕上がり。

1986 クロサンドニ ドメーヌ・コカール・ロワゾン・フローロ

リュー・ディ・クロ・サン・ドニ Clos Saint Denisの樹齢約70年(2015年時点での樹齢)の区画。

退色しており、オレンジ~レンガ色。熟成感も高く、かつおだし風味がある。
もたつきつつ、酸が立ち、やや甘い。小さいスケール感。完全除梗ゆえの芯のなさ、すっきり感。

1991 モレサンドニ ドメーヌ・デュジャック

雹害により40~50%が失われたモレ・シャンボール。ここにはグランクリュがでグラッセされていると思われる。また味もそのような仕上がりであった。心なしか、クロサンドニとの共通点を感じる。

 全く熟成を感じさせない色調のガーネット。だが酸は穏やかになっており時間の経過を感じる。

人工的な石鹸香、その下に刺々しい刺激臭を感じる。ややブショネかもしれない。液体の内容は濃く、どぎつい。全く、「桜色」ではない。またくどい甘さも気になる。不愉快なレベルである。

Watanabeさん「セイスって淡いと言われているけれど、現在のデュジャックと比べてであって淡くないよね」私「まあ・・。でも88クロサンドニは淡かったよ」
→確かに88クロサンドニは淡かったけれど、その他のヴィンテージはそうでもなかったかもしれない。人工的なワインが全盛であった90年代において、セイスも例外ではなかったのではないだろうか?

 

■振り返ってみて:

今度の田中さんのセミナーの予習に開けたものの、91デュジャックと96ジャドの多量の残糖感がテロワールを覆い隠し、大変微妙でありクロサンドニの探求の邪魔になった。

 

一緒に飲んだルネカシューのヴォーヌロマネ・スショ04と比べると、モレらしさが際立って見えてくる。モレのイメージは変わらず新世界的な明るさを持っている。ニュイにはどこかかげりがあるが、モレにはそれを感じさせない。グランクリュのロッシュになると、派手な仕上がりになる。クロサンドニになると、派手さはやや引き、スケール感がなくなり、酸が立つ。どちらも、生産者の個性が優りやすいような印象がある。

90年代は、ジャイエをきっかけとした近代化への目覚めの時期であった。80年代の素朴なワインから、テクニックを駆使した派手なワインへの転換期であった。その代表にデュジャックがあった。

2015年の今もテクニックはすべて否定されたわけではないものの、原点回帰、やり過ぎはよくないの認識もあり、クリーンでナチュラルなワインが生産されている。ジャイエの影響が落ち着き、完全除梗も見直されてきている。軌道修正され90年代の良いものを残し、改良を加えられて進歩しているように感じる。

今日の90年代の2本のモレがもし今風の造りであっさり作られていたら、抽出過剰で残糖感にさいなまれることなく、好ましかったと思う。

 

■追記

そもそも、ワインセミナーのための予習というのもおかしな話であり、かっこ悪いともいえる。ただ、アレは、飲む前にテーマワインの理解を問われるのでしょうがないといえば、しょうがない。
モレを最近飲んでいないので、よいリハビリになった。

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