ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

実は華やかなシトー派

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田中先生の御言葉

コートドールを開墾したのはシトー派であり、禁欲、節約、服従、勤勉、黙考、内面性、宗教性、神へ捧げるという言葉に代表され、「楽しいブルゴーニュ」とは相いれない。十字軍を率いたベルナール・クレアボーに象徴される。異端のイスラムを滅ぼし、誤った信仰の南仏を攻める。「神はそれを望んでおられる」の言葉とともに、正しいもの以外を駆逐する。原理主義に立ち返るなら、どのようなブルゴーニュが良しとされたのか、96に立ち返ることで考えてみたい。

 

ということで、96と向かい合ってきました。

96年の特徴は開花が短く収量が多く、曇らず・平均気温より低い時期が続き、9月が寒い年でした。近年では温かい年が増えましたが、戦前は10月に収穫するような、中々熟さない寒い日々でした。そういう意味で、96は昔を想い忍のに適していると(ブログの管理人は)理解しています。

さて村名は全般的に不作で、本日の村名・ジュヴレも不作でした。1erヴォークラン(ベルトラン・アンブロワーズ)はあまりニュイ・サン・ジョルジュらしくないスタイルで、酸が高く筋っぽいタンニンがあります。(96はタンニンが目立たない、優しいとしなのですが、ここにはタンニンがあります。)そして伸びがあり、ややえぐさと小石を感じさせます。ヴォークランはいつもニュイ・サン・ジョルジュらしくなく、これをブラインドで当てさせる田中さんは意地悪です。しかも96で通常のニュイ・サン・ジョルジュのポジションから大きく外れるわけです。このヴォークランをもって、ニュイ・サン・ジョルジュは・・・、当てれない。当てれるはずがない。

リシュブール(M・ミュニュレ)は、パワーとは違った意味でのスケール感や華やかさががなく、辛気臭い、じめじめしている。一つ一つ行うことはきめ細かいのだが、おおらかさやぬけた気楽さがない。ザ・シトー派である。
このワインには懲罰的な側面があり、いつも罰せられているような気分になる。

 

正直なところ、個人的にはこの赤をすべて好きになることはできません。
というのも酸が高いためです。
うまく理由を説明できませんが、ブルゴーニュでは、赤は酸が高すぎない方がよく、白は高いほうがいいと思っています。なんとなく、タンニンと酸の相性が良くないように感じます。(あくまでも自分の主観です。)

一方で、このあと白が出てくるのですが、白はタンニンがなく、酸が高く非常に素晴らしい味わいです。

昔をしのぶのであれば、シトーのころは、ロゼが主流だったはずです。そうです、このヴォークラン、リシュブールは、タンニンが多すぎるのです。故に高い酸と競合し、華やかさが表現されないのではないでしょうか。

 

いうなら、このリッシュブールは本来あるべき姿ではない。もっと白に近づけることが必要である。

そういう意味では、シャサーニュの赤を懐古的と喜ぶのも間違いともいえます。あれはまだ白で作る方が昔に近いとも考えられます。

 

これらは、当方の推察なので、その間違いは田中さんにないのでご承知おきください。

 

白は、とくにムルソーペリエール(ビトゥゼ・プリウール)が良かった。凛とし、華やか。リシュブールでもロゼにすれば、華やかになるのでは?そう思った。そうだったら、リッシュブール素晴らしいと思う。