ブルゴーニュワインの感想

     所詮感想です。

内的根拠

昨日より大阪にいる。

連泊で出張に出るとなぜか書く気になるのはなぜだろうか。
とりとめもなく、書いてみる。書きたいので。

 

このうつうつと過ごす日々なのであるが、これはこれでブルゴーニュらしいと思う。晴れない天気、曇天模様の空。そんな気分を生き、それでも一歩と歩を進めようとし、生きる。

なにより、ブルゴーニュの気分は、情熱ではなく、論理であると思う。これはここがダメ、これはここに分類される、論理的な方向性はこっち・・・。

たとえば、「私はポン中である(ポンソ中毒)」と定義するとする。それがもし、他人の模写としてのスタイルとしてのポン中であるならNGである。それが個人の内的なことに起因するものであるなら、OKである。その代わり、自分の根源を定義し、それから説明できないといけないため、思うより難しい。

 

ポン中のキーワードに、ラヴノー、アンリジャイエ、DRC、フーリエ、ルフレーヴ、ルソー、ルーミエ、と何が入ろうがいい。ただ、理由に内的な要因に起因し、それを飲むことで、また一歩進め、理論の構築がなされるなら、それでいい。それが正しく、それがあるべき姿である。

 

ゆえに、今のご時世でコンティが1M¥オーバであっても、内的要因で買うなら正しい。それが自分の納得に必要であり、論理構築に必要であり、経験として、通過儀礼として必要であるなら、やはり正しい。そこにどれだ虚栄心が含まれていようと正しい。

逆に、内的な根拠に由来せず、軽々しくブランドとして身にまとうのであれば、ブランドとしては高すぎるものであるためNGである。早く目覚め、服などを買ったほうがいい。

 

うつうつとして過ごす日々は、常に下を向き一歩一歩歩をすすめる行為である。くだらないワインの日々であってもそれでもいいと言い聞かせ、またうつうつと一歩一歩をすすめる。そのスタンスは許されるのではないかと思ったりする。