ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

外交的ワイン

当方は、内向的に分類されます。

先ほどまで、小学校のクラスの父親の集まりがあり、行ってまいりました。父親の集まりは任意で開かれており、3カ月に1回程度飲み会をしたりキャンプをしたりします。そのクラスの父母は、妻いわく、「すごい人が集まっている」そうで、カウンセラーでNo1であったり、ビックカンパニーのマネージャであったり、そういうことになっています。その任意の会であるがゆえに、来る方は外向的な方が多く、内向的な自分というのはちょっとマイノリティであったりします。

その会に、シルグのラドワ2011などを持っていきました。

シルグのワインは自宅で飲んでいても、正直、派手すぎて、樽の化粧も厚く、果実味も豊かで、辟易させられてしまいます。

そういったシルグを飲みながら、ヴォーヌロマネ風にワインを仕立て上げるために、果梗を除き、樽でタンニンを与え、チョコレート風味を与えたのであろうと思う。そういった価値観に辟易するし、その下にラドワの味わいが不調和にも感じられるので、浅はかな飲み物を作ったシルグをいいと思えなくなります。

 

ですが、このワインを飲み会の場にもっていくというのは、ワインを美味しくすることのようでして、チャーミングで外向的な側面が強調され、表裏のないあっけらかんとしたシャンボールミュジニーといった風に仕立て上げられます。

 

シルグのワインというのは、そういった類のもので、家で向かい合い突き詰めるものではなく、外向的な場に出し、クルクル踊ってもらうのがちょうどいいようです。飲み方をどうのこうのというように、こちらからこねくり回すのではなく、社交場でそのある環境に反応させ、奥を探るのではなく、気軽にその環境と一緒にある、というべきなようです。

奥を探らないというのは、ある意味、新鮮な結論でした。