出世とワイン好き
先日イタリアンを部下におごった。
それはちょうど社外講師を2日間していたときの2日目で1日目のランチで食べたイタリアンのパスタが美味しく、セミナーを4時半で終え、会社に電話したところ、その日任せていた仕事がトラブっているようで、会社に戻り、その日は終電近くまで対応していた。いろいろ頑張ってもらっている2人を今日もまた遅くまで残らせ、一人は新婚で、大変申し訳ないな・・・と思い、明日も同じところで同じパスタを食べるつもりだったので、誘った。
その一人から、今度の日曜日に、他部署のエースと目されている人から美味しいそばを食べに行くことを誘われているが一緒にいくことを誘われた。そばはカツオだしが入っているのであまり外で食べないのですが、それが別の食べ物でもNO!でした。
弊社は大手電機メーカである。しかも勤務地が東京である。
そんな環境で「仕事ができる人」でグルメな人を見たことがない。しかしながら、美味しいといわれるものを食べて知っている人はそれなりにいる。が、それらの人をみて、分かっているとは到底思えない。
食が分かっていると思う人は、お人好しで「仕事ができる人」グループではない。
それも考えてみれば当然で、「仕事ができる人」というのは基本忙しい。
やれ部内ゴルフだ、やれ接待だ、やれ英語だ、日経新聞だと。接待など、味わって食べているようでは昇進できません。常に周りに気を配り、動き、発言する、あの場は味覚を鍛えるところではありません。例えば「まずはビール」というのは、最初の乾杯をするのにいちいちオーダを取っていられないのであのルールがあります。「あ、同じもので」というのも注文を分けるとすぐ来ないから(忙しいので)。接待や部会は食が中心ではなく、あくまでもコミュニケーションを目的とした仕事です。そこに食を味わうという世界はありえません。
それでまた、所在地が東京です。
同じ会社でも地方勤務であれば時間はゆったりながれ、見張る偉い人も東京にいるのでしばりも緩いので、内省し食について考えることもあるかと思うのですが、ここは東京、そんなことはないでしょう。
人の能力というのはトータルするとほとんどの人は同じくらいではないかと思っています。全体を1だとすると、それを100%仕事にフルひとは「仕事ができる人」になります。能力というのは日々の積み重ねで偏りが出てきます。仲のいい「仕事ができる人」がぽろっといったのですが、「正直味が分からない。甘いものはいいが、それ以外は・・・」「カレーなどだめ。」「お子様ランチのようなものがいい」など。
なので、一般化すると、自分の力で経済的に豊かになる人というのは、食は栄養補給かコミュニケーションツールとしか思っていないのではないかと思うのです。そんな人がワインを飲んでも分かるわけもありません。なにせそこに能力を振っていないのだから。
余裕の出てきた50代、60代で趣味が無いからワインを・・・といっても、能力は若いころから培うもので、既に固まっています。科学的には60歳になると検知できる味覚・嗅覚の幅が甘いものだけになり、また少量では検知できないといったように、味覚能力が数値的に半減するそうです。
なので、残念ですが、余ったお金でワインを買っても存分に楽しむことはできず、ブランドに傾倒するなど本来の在り方とはことなる方向に突き進みます。
ワインが分かるワイン好きというのは経済的に大別すると次のように分類できると思います。
1.仕事はほどほどに・・・、限られたリソースをワインに投入する人
2.2世、3世・・のお金持ちのお家柄で、余裕を持った生活をする人
1の人は大変です。(私です)。そこに子供がいたりしたら、目も当てられません。子供は金がかかります。
2の人になるとすごいです。例えば取らぬ○の店長なんかはその類の人です。昔は地主=酒屋みたいなところがあって、歴史的には江戸やそれ以前など酒を売るのは神社の特権だったりします。なので昔から酒屋はお金持ちで、そういう人がワインに狂うと60年以前のコンティを数人でポンポン開けちゃったりします。2の人には経験値では絶対に勝てません。
神の雫の主人公など、そういうことが分かった人が作った設定で、なおかつ味覚・嗅覚にスキルを全振りしている、という設定です。
最高ではないですか!
例えば、ボルドーの5代シャトーのワインを飲んで、子供のころそこで食べた葡萄を思い出し涙するというシーンがありました。
あれなんか、2の人でないとできないシーンです。
素晴らしい。
ただ、残念なのが、その設定を理解できていないかのように、主人公は凡人化していき、堕落の一途をたどっています。
そこから察するに、あの設定を作った人は今の作者ではなかったのだろうと思います。
自分も2の人になって、
「ジャイエなんか糞ワインだから、捨てちまえ!」
とかやってみたいです。