ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

身体的ピークと技術的な成熟

進学校の中学私立に入学するには、という話を聞いた。それには数学の計算スピードと精度を上げる必要があり、例えば、3.14ではなく、更に多くの桁を覚えるらしいです。自分が小学生でやる立場になったら、いやだろうと思う。

どれだけ桁数を増やしても、円周率にはならない。近似精度を上げているだけであり、近似図形の詳細化に過ぎない。

小学生の理解のためなら、3でも4でも、別によい。
むしろ3が計算しやすくよい。3.15でもいい。

桁数を増やす必要に迫られるのは、工学的な要求であるが、それは算数や数学ではないだろう。

受験テストが回答テクニックに走り、数学ではなくなっている。3行3列以上の計算を紙でやるなら計算スピードがあったほうが便利でいいが、他人に勝つためなんて別に。

また、先取りで学ぶことをしている。
人生はその人の知能の成熟と問題意識に合わせて進むべきと思う。
ノイマンが、小学生で微分積分をやるのは、知能が高く、彼にとって適切な時期だったのであろう。周りが急がせるのはやめては?
なにより人生は長いので、ゆっくりやっていい。

今思えば、小学生の頃は楽しかったので6年と言わず、8〜10年やってもいいと思う。授業もその分濃度を上げてやりたい人はやり込めるようにすれば良い。

水泳を40になって、やり始めたのですが、習熟度が限りなく低いものは、学ぶことが多く、やりがいがあって面白いです。そういう楽しみを先取りするのはもったいないです。

特にスポーツなど、競わせる場合には、身体的ピークに、技術的ピークを合わせるように、トレーニングを積みます。そういうことをすると怪我をしがちですし、いやになります。スポーツで根性論が存在するのは、無理をしているからです。

人生の幸せを得るなら、技術的ピークは後の方が、長く楽しめ、お得です。

受験も競争させるスポーツになっているのでしょう。


エリートアスリートをアイドルにしていますが、そういうのに子供は感化されやすいので、アスリートを神格化している風潮は、競争を劇化させます。

この前ラグビーがあったようですが、ラグビーをやっていない一般人や芸能人が感動をありがとうって、ラグビーの業界にいない人は関係ないでしょう。自分がラグビーをやっていて、日本人が高いパフォーマンスを出せたとき、じゃあ自分もできるかも!?というような理由ならわかりますが。

また、女性には、過酷なスポーツのトレーニングはよろしくないです。

ラグビーもサッカーWカップも、オリンピックや函館駅伝や甲子園などで、競争心を煽り、結果、教育がスポーツになっているならば、見直しが必要です。

"スポーツ"をしたい人を止めることは、それも個人の意思を侵害することとなり、すべきでは無いのですが、それらを報道する際に、善のラベルを貼ることをやめることや、部活をやって内申点をつける=報酬を与えることから着手していくのは如何かと思います。