ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

ベジタリアンは道徳的ではない

私はベジタリアンであるが、「ベジタリアンは道徳的ではない」と思う。


道徳とは何か、思うに、社会的に良いとされていること、と思う。
ここでいう「社会」は人によって、隣近所であったり、職場であったり、趣味の仲間であったり、家族であったりして、人それぞれ定義が異なる。
最近だとマスクをつけずお客さん先にいったり、電車に乗ったりすると、不道徳感がある。一時期はマスクをつけずに閑散とした道を歩くだけで不道徳であった。また、近所のお地蔵さんにマスクがつけられていた。これはマスクが、COVIDー19に有効かどうかが問題なのではない。マスクが付けられていることが道徳性を示しているのである。
他の例を挙げると、温暖化問題、宮内庁の予算、NHK問題、検察問題、赤十字、軽々しく触れてはいけない議題がある。

どうやら、我々は権威付けされたものについて、軽々しく議論してはならないという気分が植え付けられているようである。言論の自由はあるのだから構わないはずなのに、である。その背景には、権威があって、道徳が成立していることにあるのではないだろうか?
WHOが〜こう言った、
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議によると、〜〜〜を避けるべきである、
IPCCによると、〜〜〜により地球温暖化しているとのことである、

このように、権威の発言を元に、道徳が形成されていると思う。
なので、「権威」について議論することは不道徳になっているようである。

ちなみに、ヨーロッパ圏で無宗教というと白い目で見られるらしいが、多分それは宗教=道徳だからであろう。
宗教とはGODにより善悪が定められたものであるからで、GODなのか権威なのかの違いでもある。

そう考えると、日本における道徳というのは、ヨーロッパにおける宗教の一種とも考えられる。
日本は十分宗教的な国である。


そこでベジタリアンは道徳的か?ということになるのだが、
日本においては、権威はベジタリアンであることを善としていない。(善とする権威がいない)
なので、ベジタリアンは道徳的ではない。
例えば、堀江貴文ベジタリアンを攻撃するのはよく分かる。
彼は、破天荒な発言をしているが、それは経済においてであり、文化的な考え方においては比較的保守的な人間である。(古き良き香りがします。)文化的には非常に道徳的な人間であると思う。なので、ベジタリアンを攻撃するのは彼にとって、正しい行動であると思います。

私は道徳的な人を見ると、「あ、そういう宗教の方なんですね」と思う。
宗教における権威に踏み込んだ議論は成立しない。もし成立するなら、その人はその宗教に本質的には屈服していないのではないかと思う。(つまり信じていない)


以上で、証明終了です。