ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

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1988 ニュイサンジョルジュ レ・ザロ ルモリケ

ボトル半分をハーフに移し飲む。
若飲み用のグラス”ニュイサンジョルジュ”では、味がバラバラで最低。
ぎすぎすしたタンニンと不衛生な香りが支配的。酸が低いため、隠しようがない。飲めた味ではなく、そのままボトルで放置。後日廃棄。
ハーフに残したものを、アンピトⅢでティスティング
こちらはOK。下記のパカレと類似。
きちんと、ニュイサンジョルジュ・ヴォーヌロマネ側の下部の平地を表現。酸の低さは優しさとなり、熟成の進んだ味わいと調和。ただ、この村名格のワインをここまで持たせておくことで、得た深みはなかった。であれば、早々に飲んでもよい。むしろ早々に飲むほうが、熟成に伴うリスクが減っていい。

 

2010年 ジュヴレシャンベルタン フィリップパカレ

グラスでティスティング。前述のブロションと。
サービス当初は梅しその終わったフレーバが厳しく、味わいも刺々しく飲むのが困難。ところが、時間とともに、上と類似した白骨化した味わいになり、余韻は洗練され深みを増し、切れ目なく流れる。刺々しさも消える。
ジュヴレさしさはないが、別のステージに移っている。88と同等の熟成感というのも考えさせられるが、価値は十分ある。

このパカレジュヴレは、白骨というイメージをまとい、死、輪郭の放棄、静寂や完結を想起させる。彼岸の世界である。

石灰は死骸であり、同じ彼岸の世界、死や眠りに通じていても可笑しくない。エネルギッシュなシャンボール、生命感のあるベーズというのは形容としてふさわしくない。取り留めもないがそんなことを感じます。