ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

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シトー派

黒童貞と白童貞とは?~中世ヨーロッパに革命を起こしたゴシック建築入門
https://m.youtube.com/watch?v=-tcORFuiWYE

岡田斗司夫さんの動画をなんとなく纏めると
・ヨーロッパは古代に栄え、中世で没落し、近代で再び栄えた
・中世においては、国土が針葉樹に覆われ、夏は暗く、冬には落ち葉で動けなくなる。町と町は寸断されていた。森には狼がおり、生命の危険を脅かされていた。氷河期であり、農業の生産性も低かった。キリスト教の普及は低く、農民や商人は土着宗教を信じていた。
・シトー派はベネディクト派から分離した宗派で、農業など技術を有していた。人里から離れ山に篭り神に祈りを捧げたベネディクト派とは違い、農業を農民に任せるのではなく、修道士自らも農業をするべきと考えた。そして、農地を増やすため、焼き畑ではなく、針葉樹の伐採を進めた。
・その結果、農地が増え、農作物の収穫が増え、人が増え、さらに農地が増えるというサイクルに転じ、キリスト教が普及した。


ワイン資料ではシトー派は勤勉真面目で、ベネディクト派は享楽的と学んだ記憶があります。しかし、シトー派の行動原理は次のように推測される。
キリスト教を広めることを目的としている
・布教以外のものを切り捨てる合理性がある
リアリスト(針葉樹を切る、農民と働く、科学技術を持つ)
の集団であることが見えてくる。

彼らが本当に敬虔な気持ちでワインを作っていたのであろうか?
それは、キリスト教のために作っていたのであって、ワイン自体に意味を見出していたのではないのではないか?
反省のためのワイン:シトー派
という認識であったが、キリスト教布教目的とした合理主義ではないか?オウム真理教が○リンを作ったのと同じであるように思う。
シトー派に精神性などあったのだろうか?
シトー派に問題が提示されると、現実的な解を導くための、ロジカルな分析が行われるのであろう。それはこれまで想像した沈考ではない。
むしろ、神に祈ることを重要視したベネディクト派のほうが神秘主義で、我々の使う「精神性」の言葉に合致しているのではないか?我々現代人の意味する沈考を行ったのではないか?

これらを踏まえると、ヴージョやエシェゾーの冷たさや暗さは、反省、精神性と理解していたが、ロジカルで冷たいととらえたほうが、ストンと府に落ちる。
シトー派のワインはある種、即物的とも思える。