1966 ロマネコンティ
状態OK、傷なし。最高の保管と熟成。
透明度、問題なし。
香り、異常なし。
Y氏曰く、これほど開いたコンティは初めてとのこと。
ムワ〜ンとした森の下草とはまた違う深いフカフカした香り、テクスチャーは赤ちゃんの肌のような滑らかでかつ吸い付くような張りをもちかつ羽毛布団のようなフカフカさ、抜けられなくなるような良質なソファーに腰掛けたよう。
花の香りは若干あり、きんもくせいを思わせる。
ベリーの香りは見当たらない。
誘われるような甘い香りがあるが、甘くは無い。ドライ。
味わいは61RSVが口の中で描く球体であったのに対して、顔の範囲を超えて描く球体に広がる。そしてその球体は1分を超えて持続し、後頭部後方へ静かに消えていく。
ワインとしてはまだまだ若々しく、あと20年は向上しそう。
今回の状態は最高であったものの、とても全容を表現していたとは思えない凄みがある。圧倒的な迫力、喩えるなら、金色の延べ棒を敷き詰めたような印象。帰り道の電車でみた次の写真のイメージがぴったり。
このワインはどこまでも完璧で完全で、金色の味わいがする。それは近づきにくく、遠巻きにながめるほかない。素晴らしいワインなのに、どこか心に響かない。共感することができない。大理石の冷たさを感じる。尊敬することはできるが、愛する、愛でる、添い遂げるということとはかけはなれている。神の意思、魂、思考をワインにした、それも霊的ではなくとても現実的に具体的に理解しやすく即物的に。ゆえに誰しもがひれ伏せるが、自分はそこに拒絶を覚える。
澱をもらった。
澱は、以外にも美味しく、いつものヴォーヌロマネらしいベリーの香りと甘さを持っていた。それはとても人懐っこい味わいであった。このワインはベリー部分を不要とし、そのベリー部分を結晶として澱としてふるい落としていた。つまり我々が飲んでいるヴォーヌロマネ自体の上澄みとして存在していることを物語っていた。
きっと、あと20年から30年後、本当の姿を見せてくれるのだと思う。今回のものは全体の球体の一断面にすぎないことを予感させられる。