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   繊細なジュヴレか、82グランドリュ、もう一回飲ませて!

AOCと思い込み

日本銀行は一つの株式会社でしかなく、その株式会社が発行した日本銀行券を皆が信用し取引をしている。本来価値のなかったものを「金」という概念を仕立て上げ、信じさせている。我々が生きるために一日働き、お金を稼ぐ。人によっては命より大事なお金だけれども、けれど作られが概念でしかない。

 

AOCでは、グランクリュを筆頭に、ピラミッドの絵を書き、プルミエ、ヴィラージュとある。愛好家は「ポテンシャル」という表現が好きで、グランクリュはプルミエよりポテンシャルが高いと信じている。本当にそうなのだろうか?AOCに思い込まされているのではないか?

自分の見立てでは、グランクリュはプルミエとは土地自体で比べたときにポテンシャルという意味では大差はない。愛好家の信じる「ポテンシャル」は醸造栽培の違いに発している。ブルゴーニュは生産者で選べというのは、その意味で正しいのだろうが、念仏のように唱える「テロワール」「テロワール」「テロワール」の在り様からは離れるばかりである。

そういう意味で、ルロワはAOCに対して挑戦的でプルミエクリュですら他の生産者のグランクリュをしのぐ造りを行い、他を寄せ付けない。

 

「ポテンシャル」という言葉は二元論の簡単な世界に落ち込み、誰でもわかりやすいものになるが、それは罠である。グランクリュの畑の価値はポテンシャルにあるのではないのではないとしたら、どこにあるのか?それは個性なのか、フィネスと呼ばれるものなのか、深みなのか、透明感なのか、精神性なのか?

今のところ持つ答えは、「グランクリュ」と一括りにしては答えはでない、である。ロシュがいいと思う理由、ロマネサンヴィヴァンのある区画がいいと思う理由、それはグランクリュだからではない。「グランクリュ」という言葉を発した瞬間から、その概念に縛られそのものが見えなくなる。

 

本当は、プルミエ、ヴィラージュですらも、思い込みともいえる。

ただ、全て、撤廃すると、購入するときの目安もなくなるので、飲む前にはあったほうが便利なのでAOCはあると助かったりするのもまた一面である。とすれば、支払いをすました後は、格付けは忘れてワインに向かい評価すればいいともいえる。

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