ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

ワインを飲んでいない

2020年1月2日からワインを飲んでおらず、そろそろ3ヶ月が経過しようとしています。飲まないと決めた訳ではなく、今は当面飲まない選択をしている、といった気分ですが、そろそろ飲まない人というアイデンティティになってきました。

自我が弱い人は
・みんなで盛り上がる、楽しそうだから飲む
・飲んでストレス解消
・酔いたい
といったことを行います。これらはみんなで麻薬を使用してハッピーになることを良しとする人達の発想と同じです。唯一の違いは合法かそうではないで、誰かに決めてもらった善悪に従っている訳です。昔は占い、宗教の指導者、今は政府と科学者がそれに変わっただけで、構造は同じなので、進歩が見られません。(進歩しないといけない!かどうかはまた別の話です。)

ワインにおいて、ワイン会で前述のことを目的にしている場合があります。
人と人との出会いを大事にする、
ワインは人と人を繋げる、などなど
神の雫などでも同じことを言っています。
ワインを飲むのであれば、やはり主はワインにする方が潔良いと思います。

では、結局、ワインを飲む必要があるか、についてなのですが、私にとって、もうBourgogneには探求するものが見つけることができません。ボトル差の違い、畑の多少の差異、醸造の変化を知ったところで、理論の根幹が変わらないからです。バリエーションを知ったところで意味がありません。今のBourgogneは高騰しており、バリエーションを知るためにそれだけのコストをかけたいと思わせない状況にまずあります。一方でChampagneはまだ村ごと、村の中での土壌の差異を探究する余地が多く残されています。Champagneにはテロワールがない、村の間で味わいの差がないなどという方もいます。人によって感知できるものは違うのでその人たちにとってはそうなのでしょう。味覚、嗅覚、記憶能力が違うために発生します。自分がそのように感じていないにも関わらず、さも感じているように振る舞うと、いっていることと実際の好みが異なってしまいます。ですから、なるべく思ってもいないことをいうべきではないと思うので、「Champagneに村の個性はない」といいつづける方が健全でもあるのですが、「ある」と感じている人からすると目を細めてしまう発言であることはさけられません。Champagneはまだ価格も高騰していないため、飲んでもよいです。(味覚の無い人たちにとってはブランドしか認識できないため、サロンなど一部の認定されたものが高額になっています。そういったものは美味しいのですが、同等のものがもっと安価にあるのをみると、とてもでは無いですがお金を払いたいとは思えません。ChampagneはまだBourgogneほどポテンシャル=価格になっていないため、愛好家としては楽しみがあります。ただ、それも今だけでしょう。)またChampagneはまだ醸造過程を改善できる余地があると思います。二次発酵で酵母を残し王冠ではなくコルクを使用する、ピノ・ノワールの品種を改善するなどです。また、モンターニュドランスがまだ高い評価を受けていないため、幸いです。私の中ではモンターニュドランスは繊細さと複雑さと構成の良さでコートデブランを圧勝しております。コートデブランは部分的にみれば強く鉱物的で良いのですが全体を見ると彫りが甘く、構造が単純です。

乱暴な点数付をするなら次の様にします。
ヴァレドラマルヌ:1
コートデブラン:3
モンターニュドランス:5

ランスで良いものは今の価格の1.5倍でも、Bourgogneを思うと穏当に思います。一方でコートデブランは大手メゾンの評価により過剰評価されているように思います。現状維持かやや減額でもいいです。ヴァレドラマルヌは減額です。


話が脱線してしまいました。
そういう意味で私にとって、まだChampagneは飲み続ける理由があります。またコスト高いから飲まないという意味では、家にあるワインは飲んでもよいので、飲まない理由にはなりません。しかし、私はワインを飲んでいません。


昨年12月からworkoutを始めました。workoutにより筋力が向上し、体脂肪も落ちて身体能力が上がり、CONVICT CONDITIONINGのSTEPが上がっています。今まで、運動で身体を鍛えたことがなく、非常に新鮮な体験です。また水泳でも以前は10メートル程度しか泳げませんでしたが、先月の2月では1ヶ月間毎日50分、ずっとクロールで休憩なく泳ぐことができるようになりました。
このように、身体を鍛え成長させることの楽しみを覚え、これらが日々日々自分の中で中心を占めるようになってきました。これをアスリート視点と呼ぶことにします。
アスリート視点からみると、アルコールにはメリットが全くありません。肝臓がアルコールの消化を優先することで、その他の消化が後回しになりタンパク質の合成が阻害され摂取した食事が脂肪になります。その結果workoutによる筋肉の成長を阻害され、肥ります。
またアルコールを摂取すると、workoutを休まないといけません。そしてアルコール飲みながらworkoutすると、病気になるそうです。その他にも身体的なデメリットが多数あります。

今workoutは毎日行っています。(普通は、週2〜5位らしいです。)
workout中毒です。
筋成長は、workout後24時間続くそうで、週2程度なら、アルコールを飲む隙がありそうですが、私の場合ありません。


ワインを飲むこともないので、まずワインを検索しません。
たまに良いオファーがあり買うことを何度か考えましたが、そもそもこのままのペースでは、今あるワインを飲み切ることが困難で、飲めもしないのに購入することが愚かに思え、見送っています。
ワイン会も心惹かれるのですが、グラス一杯程度ならいいのですが、ボトル半分以上の酒量を考えると行けていません。
そうこうしていると、あっというまに3ヶ月が経過して、お金を使わないため溜まっていきます。ワインが好きだったころは、他の出費を減らしてワインに回すことを苦心していましたが、お金を気にすることがなく、ストレスフリーになっていました。2月までは水泳に毎日行っていたのでプール代6000円と新しい水着を買いましたが、3月になるとcovid-19の影響でプールが休みとなり、プール代も掛からなくなりました。勝手にお金が溜まっていきます。
その代わり、英語の教材を買い、空いた時間で勉強とworkoutし、子供とハードな全力バトミントンで遊んでいます。今まで出来なかった激しい動きができ、楽しいです。

ホームトレーニーのため在宅勤務になるとworkoutの時間を増やすことができます!(ややオーバーワーク気味なので、より睡眠時間をとる必要があり、一層、アルコールを摂取する暇はありません。)


たまにワインブログを閲覧させてもらうと、「こんなに飲んだら、24時間アルコールの消化に時間を要して、肥るし筋肉が減ってしまう・・・。お金もへってしまう・・」と慄いています。

また、長年、ビオディナミとシュタイナーのアルコール否定に関する矛盾が気になっていたことにもスッキリしました。ビオディナミの元であるシュタイナーは飲酒を否定しています。ビオディナミはシュタイナーが提唱する農法に基づくワインなのですが、これは矛盾しています。ビオディナミに肯定する人はこれを無視するもしくは、ビオディナミの結果を見て、美味しいワインが出来た結果をもってアルコールを肯定しています。私としてはこれがずっともやもやしている状況です。
最近の私としては、「通常の麻薬もビオディナミで作った麻薬も効能は同じ」であり、アルコールも同じでどんな免罪符をつけようがやはりアルコールはアルコールで、そのデメリットはあるのでしょう。であれば、どこまでそのデメリットを受け入れるかだけであると思います。結論としては、次です。
・何をしようがアルコールはアルコールであり、そのデメリットは発生する。
ビオディナミによるメリットと、アルコールのデメリットは相殺されない。


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思えば、この17年間ワインに振り回されてきました。
振り回されたというより、ワインと一緒に回っていたというところでしょうか。
廻り続けて、新しいものを得れなくなり、飽きました。
我々は常に新たな刺激、より高みを目指しています。同じ所には止まることはできません。

水泳とworkoutには今までにはない刺激をもらいました。これらを経て視点が変わりました。

おぼろげな記憶で申し訳ないのですが、漫画「スプリガン」の後半部分で朧が、自然と一体となり不老不死を得ることが目的ですというようなことをいっていたと思うのですが、あの考え方が好きで、自身もいつかそうありたいと思っていました。16年ごろ前に人智学を知り、13年前にvegetarianになり、昨年中ごろから身体を鍛え始め、今年始めにアルコールから離れました。振り返ってみると、計画通りというか・・・。


今後、ワインを飲むのでしょうか?
20年前に私はタバコを吸っていました。結構なヘビースモーカーで1日2箱吸っていました。それをやめてから、2回ほど吸いました。1回は、葉巻を、1回は一箱かって3本ほど。葉巻は吸ったことがないから、もう一回はどんなものだったのかの確認でした。
類推するとワインも同じような経緯を辿るのかもしれません。
しかし、タバコを勧めてくる人はいないのでこの程度かもしれませんが、ワインは勧めてくる人がいるので、もう少し多いかもしれません。
飲むにしても、自分にとってワインから何を得たいのかはっきりしてから飲むべきであると思っています。
変化は常に不可逆ですので、飲むとしても昔の目的で飲むことはないように思います。