ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

交換不可能

愛着は誰しもあり、ヘタれてきた歯ブラシですら、愛着がある。しかし、新しい歯ブラシに変えたあと、あの歯ブラシが、とはならない。むしろその快適さに喜びを感じるようでもある。

また、「いつも同じイスに座りたい」「同じプールのシャワーを使いたい」とこだわるのも似ている。

機能ではなく、同じ機能を有するものでも、異なるとする心である。


ワインにおいて、自宅のセラーにあったワインか、他人が保管していたか、私にとっては、飲む前は、歯ブラシ程度やいつも座るイスの場所程度に愛着はあるが、飲み始めると、どちらでも同じものである。
ワインをそれほど好きでは無いというわけではない。
ただ、機能が同じであれば、交換可能であり、区別する意味がない。

例えば、家族は別れても、似たような人と次過ごせばいいかというと、それまでの共有した価値観や記憶があり、上記でいう、「同じ機能」とはならず、引きずる可能性がある。しかし、また新しい違う人と暮らし、生活を作り上げていけば、同じように愛着も湧くだろう。

また、自分の身体に関しても、もし同機能の身体をくれれば、例えば顔が違っても、いいと思う。
同等の機能であれば住む場所が変わってもいい。一所懸命は、機能的な理由があればするが、愛着では行わない。

ということで、愛着は、交換不可とする理由にはなり得ないと思うが、如何だろうか?



つまり、自分以外のもの、生き物、人に