ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

メオ、脱線

1月18日 メオ村名16年水平 ヒロヤさん

 

★フィクサン2014,2015,2016
★ジュヴレ・シャンベルタン2016
★モレ・サン・ドニ2016
★シャンボール・ミュジニー2016
★ヴォーヌ・ロマネ2016
★ニュイ・サン・ジョルジュ2016
★ポマール2016
☆サン・ロマン2016

ヴォーヌロマネ以外ネゴシアン名義。

すべてインポータさんはフィネス。

フィネスさんからワインの説明をいただき、ヒロヤさんがサービス。

 

感想

・ネゴシアン名義はスケールが小さく、悪くないが、費用に見合わない。これは印象変わらず。

・メオさんは、ドメーヌ、ネゴシアン関わらずすべて選果台の最後に立ち、醸造は基本同じように行っているとのこと。

・一方でドメーヌ名義のヴォーヌロマネの垂直的な広がりとミッドが欠如していないことは、畑が斜面上下に分かれ中央部分が無いのにも関わらず、驚きです。これって、中央部の村名じゃない畑を足していないとできないですよ・・・。

 

・近年糖度の上りが早く、9月上旬の収穫になっているとのこと。これでもメオは遅いらしい。収穫が以前より10日早くなっているとのこと。それは消費者の嗜好に合わせてではないと言われていた。温暖化の影響だ、とのこと。

・この手の話はやや信じがたい。というのも、温暖化は誤報であったのでは?事実無根の話だと理解していたが、生産者が糖度が上がるようになったというなら、温暖化を裏付ける事実となるが・・・、信じがたい。

・逆に温暖化しており、それが原因で収穫が早まっているのであれば、葡萄が熟さない要因となり、複雑さの欠如をもたらすため、非常に危機的である。

 

・確かに昨今のブルゴーニュはエレガントではあるものの、複雑さが欠如している。それもこれも、収穫が早いことに起因している。そこまでは事実なのであるものの、それが温暖化(笑)が原因とはちょっと思えない。が、まあ糖度が勝手に上がるなら、そうなのかもしれない。いつか時間ができたら、積算温度をチェックしてみたい。ですが、そんな時間も取れそうにないです。

 

・こうして村名格をまとめて味わってみると、分かることは、村名格なんて飲んでも意味ないな…、やっぱり斜面の中央部を飲まないとだめだな・・・ 、フィサンは中央部だったかもしれないですが、あんな村のワインを飲んでも意味ないですね・・・。へき地は「いいもの」ができないが故に僻地です。ここでいういいものというのは、ヴォーヌロマネを頂点とした個性・長所を「いい」と定義しており、そのロジックで別のところで作っても、ヴォーヌロマネに劣るから、僻地でして。

 

・かねてから申していましたように、ブルゴーニュは土壌(ジュラ紀中期~後期)の斜面に意味があり、村名格になっているところは、残念ながら集積土壌がおおく、ブルゴーニュを飲む目的になりえないです。ただ、例外はあるので、ヴォルネイとか、そういったところは大事にしたいです。

ただ、そう考えてしまうと、1級以上の畑はもう飲み物としてコストが上がりすぎており、厳しいですね。

 

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余談

マリアージュとかありますが、端的に申しますと料理にワインは合わないと思います。お茶とか、水のほうが、邪魔せずよいかと。

会わない理由を挙げてみます。

・アルコール度数が高く、料理の邪魔をする

・果実感が料理の邪魔をする

・甘い場合があり、料理の邪魔をする

・熟成した場合、美しくない場合料理の邪魔になるか、ワインが単体で美しい場合は料理が邪魔になります。

ナチュラルチーズの香りは、往々にしてワインの邪魔になります。

・磯臭さは、ワインの邪魔になります。

・肉の匂いは、ワインの邪魔になります。*

 

*は特に主観的。ボルドー的な、タンニンを多く含むものを飲まないためかもしれません。

 

ローヌや、新世界のものは違うかもしれません。飲まないのでよくわかりません。

とはいえ、ひらまつでルソーとお料理を食べていた時は大変満足でしたが、そこまでしないと満足されないというのは、そもそも合わすことが困難であって、そこに技術で合わせてきているだけで、やっぱり合わないのではないかな・・・と思うのです。あの時は料理代よりルソーのほうが高かったですし、それって、支従逆転で、ひらまつの料理を食べに行きたかったというより、ルソーが飲みたくて、ついでにひらまつの料理を食べに行ったところが多分にあり、突き詰めると、ひらまつの料理はなくてもよかったわけでした。

 

しいていうなら、美味しいパンとシャンパーニュは幸せですね。

 

 

ブルゴーニュは高くて手が出なくなったのもありますし、またブルゴーニュの粘土感が、最近うっとおしいと思うようになってしまったのもあり、私はブルゴーニュから離れています。

今日は、以前買ったラマルシュのヴォーヌロマネ・ショーム10年を飲んでいたのですが、これは6~8本開けたなかでも3番目くらいにコンディションがよく、まあまあ楽しめたのですが、粘土がうっとおしい・・・。もういいか・・・、と思ってしまいます。

なので、もし、まだラマルシュが普通に買えていたら、11年~15年のものが在庫にあふれかえっていて、「グランドリュならいいけど、1er以下ならいらんがな」的な感じになっていたと思うので、高騰して品薄で助かりました。

ラルロももういらない。

シャブリはムートンヌなら飲んでもいいけど、それ以外はいらない、

ムルソーは、グットドールか、ペリエールなら飲みたいけど、高いし、樽が売っとしいことが多くていらない、

ピュリニーは赤なら。あ、売っていないし!

あの人は死んじゃったし、あっちの人は死にそうで高騰しまくっているし、DRCはアレだし。

ヴォルネイ飲みたいけど、結構高いし、うーん。

美味しい繊細なボーヌを飲みたいな。どこにあるんだろう?

 

メルマガのタイトルの「人気のフーリエ」「ヴォギュエ入荷」「デュジャックが作るマール」など見て、いまだにこんなものが本当に美味しいと思っているのかな…こんな3流の生産者を・・・。

もはや作り出された、ハリボテで、高くてだれももう飲めないから好きなことをいっている的な・・・・。

 

マルゲ アンボネイ2010

昨年末、マルゲのワイン会にいき、

リューディーシリーズ2012から、アンボネイ2010、アヴィーズ2012、キュヴェ ジェスタン06,07等をいただきました。

アンボネイは酸化がすすんでおり、不味かった印象でした。マルゲはもたないのかね、、、という話をしていたのですが、実家にある同じヴィンテージのアンボネイは熟成感は年相応よりややちょっとあるものの健全で美味しく…。ロット差はあるにせよ、ブノワライエ会、マルゲ会ともにほぼ全滅というのはどういうことなのかと思います。


思えばあそこで頂いたワインは全て元気が無く、キュヴェジェスタンに至っては沈黙でした。エネルギーを奪われていたのでしょう。


コンディション不良はセラーの問題。

エネルギー消失はソムリエが味が暴れていたから調整した、ということを言っており、それが影響していそう。

また、店内の装飾が、軽く上っ面で、それがワインに顕れているかのよう。



ダヴィット レクラパール ロゼ 2003

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晦日だからロゼというわけではなく、実家のセラーにあるリスクの高いワインの処分です。

二本購入し、一本目はブレット。

二本目も期待できないと思っていました。

この二本目はブレットではないものの、不快な香りが支配して、飲む不快な汗が出ます。カラダが摂取するのを拒んでいるようです。


やはり醸造の過程に問題がありそうです。

また、ピノ・ノワールの品質も悪そうです。

一般的に多い収量(100hl/ha前後)、多産品種のピノ ノワール、実が色付かない環境と、レクラパールも同じ課題があるのでしょう。それが、ロゼにした途端、一気に粗が目立ってしまうのでは、と思います。

レクラパールの醸造の過程が汚いそうで、美味しくなる見込みがありません。


予定通り不快な味わいでした。



藤が丘会

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1.ジャン・ヴィッセル シャンパーニュエクストラブリュット マグナム

2.ドメーヌ・プリューレ・ロック ラドワ レ・クルー ブラン2015

3.ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ オート・コート・ド・ニュイ ラヴィーニャ2002

4.ドメーヌ・プリューレ・ロック ラドワ レ・クルー ルージュ2015

5.ドメーヌ・プリューレ・ロック ニュイ・サン・ジョルジュ クロ・デ・コルヴェ 2009

6.ドメーヌ・プリューレ・ロック ヴォーヌ・ロマネ クロ・ゴワイヨット2009

7.ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ ロマネ・サン・ヴィ・ヴァン 1993

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本日は2018年11月に若くしてお亡くなりになった、プリューレ・ロックを偲ぶ会です。

 

■プリューレ・ロック

ロックのラドワは白も赤も、ニュイ・サン・ジョルジュ、ヴォーヌ・ロマネ、ヴージョと比べて、味わいが雑なことは否めません。

これはラドワの産地に問題があると思っています。

 

数年前ラドワが気に入り、その時数カ月間でラドワを集中的に飲みましたが、ラドワは最初は綺麗でチャーミングに見えるのですが、それ以上何もなく探っても面白くなく、むしろ探ると、雑さが気になり、どんどん嫌いになっていくワインでした。

突き詰めると産地が悪いのか、ニュイの味をイメージして造るが故に、ラドワとしてどうしてもニュイに劣った味でぎくしゃくしているのかもしれません。

 

そういう意味でロックのラドワ白に関しては、シャルドネにもかかわらず、黄色い色で、チャレンジングな作品で(Wさんいわく、赤ワインと同じ醸造をしているらしい。後で調べてみます)彼なりに思うところがあったのかもしれませんが、ただそれが、ラドワを最大限引き出そうとしているかというと、ラドワの赤は普通のもので、特別にラドワ仕様で作っていると思えないことから考えるに、ラドワの可能性を引き出そうというよりは、たまたま持っていた土地のシャルドネがあり、ロックのイメージするシャルドネを作りたくて、それがたまたまラドワであった、そういうことかもしれません。

ロックは、一事が万事そういうところがあり、テロワールを優先するのではなく、自分のビジョンを優先しているところがあります。どれも似た独特なフレーバが優先されその後に土地の味がするところ、クロドコルベを造る考え方。

とはいえ、ロックの所有するラドワの場所は非常に残念な区画であり、具体的にラドワの半円状に広がる丘の、いちばん下部の場所であり、この場所は壊滅的に美味しくない・・・。よくこんな場所から、このような普通のワインを作れたとある意味驚きます。

きっとロックは、ラドワの白などをみると思うのですが、高級ワインではなく地酒としてのワインを大事にしたかったのだと思います。ただロックの面白いところは、ロックの次のメッセージにあり「自然なワインはない。自然なようにワインを作るのである。」このポリシーに集約されるところがあります。「地酒のように造る高級ワイン」それがロックの目指したコンセプトだったのではないかと勝手に思っています。

それが故に、ラドワを無視して、地酒を造る・・・。

いろいろと袋小路だったのではないかと思います。

 

 

一方でクロ・デ・コルヴェは単純に不味いワインでした。

味わいが太く・短く、ロックに求める伸びやかさがありません。

余韻もノイズが多いです。

飲んだ後の清涼感が壊滅的です。

これはミルランダージュから作っているものなのですが、

自宅で飲んでいた、ニュイ・サン・ジョルジュ1級(2011)のほうが遥かに美味しいです。

往々にして、力を入れて手間をかけ過ぎたワインは美味しくなく、肩の力を抜きさらっと勢いで作ったほうが美味しいことが多く、これもそれに準じたものでした。

 

 

ヴォーヌ・ロマネ クロ・ゴワイヨットはまさにロックを代表するワインといっていいでしょう。ラターシュの下部にあり、ロックが最も思い入れ深く、1987年に売りに出ていた時に購入し、1988年にドメーヌを立ち上げたました。

ただ、致命的なのが、紹興酒のニアンスが感じられ、どこかの過程にエラーがあります。それゆえなのか、本来あるべき、悠々としたヴォーヌロマネのニアンス、複雑なフレーバ、霊性、それらが見当たりません。

こんなものではない、と何度も確かめても、それはありません。

 

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ブルゴーニュを代表するドメーヌ、DRCです。

購入できるワインではなくなって久しく、最近いくらで取引されているのか知りません。知ったところで、手が出るわけもありません。もう存在しているドメーヌにもかかわらず、私にとっては違う世界の存在になっているものです。

そういうDRCなのですから、美味しくないと困るわけです。

しかし、このワインは熱が入り、酸化が進んでいました。

 

 

■纏め

ブルゴーニュ好きとして、ブルゴーニュは美味しいのか、ということに疑問をこの半年、感じています。本当は美味しくないにも関わらず、美味しいと美化しているのではないのだろうかと思うのです。

この日一番おいしかったのは、約8000円のマグナムのシャンパーニュ(ジャンヴィッセル)でした。通常ボトルだと4000円です。

ドサージュの少なく、ランスのもので、状態がよく、確かな造りのものと比べると、ブルゴーニュは土臭く、野暮ったさが否めません。

 

愛したブルゴーニュは、美化された思い出の中にしかないのではないかと思ったりします。

それを象徴するのがDRCで、例え状態が良くても、昔のように楽しむことはできなかったのではないかと思うのです。昨今のシャンパーニュの進化に引き上げられ、もう、ブルゴーニュは泥臭いワインになってしまっているのではないか、もう戻れれないのではないか、と思うこの頃です。 

ワイン会前

今晩、プリューレロックのワイン会です。

楽しみで、12月最終週をしのいできました。(死ぬかと思いました。)

新しいワイングラスも新調したし、

このために、離れた生家に家族を送るため車で往復したし、

やることをやれました。

 

今年一年もあまり思い残すことがないです。

10年前くらいはやりたかったことができず今年もできなかったと後悔していましたが、そういうのもありません。

ワインで今年思い残すことはありません。

ロックの良さ(パカレの駄目さ)、メオの良さを再確認できました。

ヴォルネイが今年はとても心に残りました。

藤が丘会、二宮会、田中さんセミナー、表参道会、三鷹会・・・など書ききれませんが、いずれも秀逸なワイン会で、持ち帰れるものが多く、来年もお願いしたいです。

シャンパーニュについては、モンターニュドランスにこだわった1年だったと思います。結局もっともよかったのは、マルゲの14年シャーマン白でした。今後、ヴェルズネイのノンドサージュ、ブジーシャルドネベースの良品を見つける、ポメリールイーズをもっと飲んでみるなど、来年も楽しみがあります。日常ワインは、もうシャーマンでいいと思っています。ランスを中心としたシャンパーニュを思うと、もうブルゴーニュには土臭くて戻れないです。

 

今年は、明日帰省し、1月5日ごろまでゆっくりし、6日から仕事しないと。

新年あけたら三鷹会と新しく言ってみようと思う会があるので、楽しみです。

二ノ宮会

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swさん宅はいつもオシャレです。

ワインはルイーズ89が良かったですが、持参したwさんご不満。もっと美味しいはずだとのこと。

料理も研究家?の奥様の本格料理でいつもありがとうございます。

また、泊まらせていただきありがとうございました。



デュヴァルルロワの会

デュヴァルルロワの会

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デュヴァルルロワの会で、下から上まで味わえ、

広域のワインでは、モンターニュドランスとヴァレドラマルヌの約10~15程度の村から作られ、ヴィンテージはモンターニュドランスとコートデブランの5程度の村からつくられており、総論としては、広域のほうが味が複雑で面白いという残念な結果でした。(消費者としてはうれしいのですが)

ブノワライエが農家がサイドビジネスでワインを作っているスタンスに対して、

こちらはさすがにちゃんとしているが、たかが知れており、やや残念。

ブノワライエ

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ジーをメインとしたワインを作る生産者である。

ワインは洗練されておらず、ある種地酒としてのシャンパーニュの地位にあるが、

 価格は右3本で、8万5千円。(ワインショップ価格)

オウ!

既に地酒としての価格帯を超えています。

一本4,5千円がいいところです。これはひどいです。

 

ラシーヌが取引をやめ、別のインポータに移ると、価格が2割引きになります。

ラシーヌは非常に設けているのか、広告宣伝にお金をかけているのか、生産者発掘にお金がかかっているのか、輸送に力を入れているのか、さて、どれでしょう?

 

ラシーヌは言うほどコンディションが良くなく、まあ、大手のインポータと大きな差はないように思います。(Winenaviの扱う小規模インポータとはさすがに違います。健全で美味しいです。)品質がいいというブランドイメージを作りあげるところに、コストがかかっているようにも思います。されど、そこまでコストを払いたいかというと、ちょっと微妙かもしれません。

 

ただ、このブノワライエは微妙。

ブノワライエのコトーシャンプノワはさらに微妙で、3流ACブルゴーニュのクオリティで、そこに馬小屋臭がします。こんなもの1000円未満ならいいのですが、インポータは何を考えて売っているのでしょうか。良心を問いたくなります。

地酒風味だからいいだろうというなら、

500円で売るべきですし、これを5000円で売るなら、返品ものの品質です。

 

マルゲが好きなのであまり悪く言いたくはないのですが、

こんなものを大々的に販売するラシーヌが信じられません。

2011 ニュイサンジョルジュ ヴォークラン

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2011 ニュイサンジョルジュ ヴォークラン 

ドメーヌ・ロベール・シヴィニョン

(ラックコーポレーション)

 

案外状態はよく楽しめる(が、抜けたところにやや熱が入っているようにも感じる)

しかしながら、それほど悪くないし、Winenaviの扱うマイナーインポータとは管理が違うことが分かる。ラックで買うしかないのであれば、いくつか香りが抜けているもののラックでしか売っていないのであれば、諦めて買うのもいいかもと思った。

 

さてヴォークランなのですが、これも多分どなたが語ったことの二番煎じにしかならないのですが、石灰を感じさせ、贅肉が無く、すっきりした味わい。あと10年待てば、夢見るような味わいになりそう。それにはこの11年ではなく、15年や9年や7年がいいかもしれない。11年は時間に耐えるには脆弱と思います。

地層と年代

田中さんのセミナーにて、新しい地層と、古い地層で味の違いは何か

という話になります。

例えばドイツのモーゼルのスレート粘岩板では4億年前、我らがブルゴーニュは主な土壌が白亜中期~後期の土壌があり大よそ1憶五千年前に堆積したとされる土壌がある。その中でもマランジェが古く、ポマールやコルトンは新しい土壌が多いです。

味わいの違いとしては、マランジェやモーゼルは老獪な雰囲気があり、香りより味わいの深みを感じさせる。土壌が新しくなると勢いや力強さを感じさせます。

 

というようなことを話しているのですが、因果関係は本当なのでしょうか?。

 

その味わいの印象は変わらないものの、地質年代が古ければ、本当に地質が古いのか!というところが今回のテーマです。

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化石が葡萄畑によくあります。

ミウ石灰岩などユミウリですし、貝の化石もあります。

化石のできるメカニズムは、動物が死んでそのまま放置された場合、腐敗や他の動物が食べ、化石となりません。化石になるには動物を瞬間的に土で覆い酸素を与えず、腐敗させないことが必要となります。

あの広域にわたって、一定の堆積で、一瞬にして土が覆うことなど考えられるのであるのでしょうか?そもそも、bourgogneだけに限らず、ヨーロッパの至るところで、白亜の土壌等があります。(もしかすると世界的に共通なのでしょうか?そうするとさらに説明が難しくなり、世界的な天変地異が起きたことになってしまいます。それも何度もにわたってでです。このようなことはまったく説明がつきません。)

 

化石ができるようなスピードでそれぞれの時代で土壌が堆積したということは、事実であることをまず覚えておいてください。

 

ここで、創生論という、聖書の想定する世界の成り立ちで説明ができるという理論があります。これは、ニッチな考え方ではなく、アメリカ、ヨーロッパを中心に、広まっているものです。

創生論によると、炭素年代測定法によれば、この地球は高々10、000年に満たないとのことで、詳細は検索してみてください。いま取り上げたいのは、創生論の見解では、世界の化石のある土壌は、たった1回の世界的な洪水・・・即ち、ノアの箱舟のあった大洪水ですべての地層が一片に作られた、とのことです。

 

この創生論が正しいのか、否かは分からないのですが、

化石ができるシナリオを示してくれています。

 

この地球の成り立ちに145億年時間を要したと考えているのは、

進化論を背景に、生物の奇跡的な成立を説明するために、採用した年代測定法によるものだと思われます。

生物の中間種がいないことは考古学的にもDNAでも確定的になっており、そして、最も古い化石の出る地層・カンブリア紀から脊椎動物が出ていること、から、説として、ダーウィンの進化論は終わっています。

進化論が終わったのであれば、145億年前に地球ができたという説も再検討すべきで、

大洪水前にすべての種があり、大洪水でカンブリア紀から上の地層が作られたというのは今のところ無矛盾ではないと思います。

 

カンブリア紀の地層も白亜の地層も同時期にできた可能性があり、

「4億年前」の地層だから古い味がする

というのは因果関係が間違っている可能性があります。

 

また、聖書を信じる人は、少なくとも進化論ではなく、創造論に向き合わないといけなく、聖書を信じる人は、三畳紀の土壌だからジュラ紀より古い味だとは言ってはいけないです。

 

旧約聖書、聖書の回し者ではありませんが、
地層が古い=成立時代が古い

は定説ではなくなっていると思います。