ビオディナミの矛盾
エルヴェジェスタンは、醸造におけるビオディナミを目指している。ビオディナミは人智学の考え方に根差した農法を意味しており、この場合、農法ではなく、醸造であるが。
さて、ジェスタンが何を目指しているのか、ワイナートを読んではみたが、よくわからない。ワインを一つの生命とみなし、生命を育てるために、アプローチをするといったところなのだろうか。(読み込みが甘くてすみません。)
ジェスタンがどういう思想なのかおいておいて、ワインを生命体とみなし、成長を補うという観点で醸造のあるべき姿を捉えなおすということはビオディナミのメソッドとして正しい論法であるといえる。
ただ、それは農法であり、人智学の視点ではない。
人智学はあくまでも人を中心に捉えた思想・方法論である。そのため、人を中心に見据えていないビオディナミというのは、着地点のない議論のようなものである。すなわち、
①ビオディナミにより育てたワインとは、霊的にどのようなものなのか?
②そのワインを摂取することで、人は、どのような作用を受けるか?
③それにより、世界へ何が与えられるか?
ということを考え、完結するといえると思う。
シュタイナーの思想に立ち返るなら、まず、食事とは何かである。
食事とは、太陽の光をエネルギーに・・・
眠いので、つづく・・・