ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

食の完成

食は、幼い頃に、無意識の内に、行うようになる。
その内に、好き嫌いが意識化され、食べ慣れることで、幅が広がるようになる。
成長し、美食家になる人もいます。そのような人は、レストランに通うなど、より、美味いものを求め、追求します。最初は、味わいが濃いもの、強いものを求めます。その、はじめの終着点では、美味しすぎないことの良さを知ります。そして、エネルギー感、に気づきます。

エネルギー感を感じ取るのは、味覚ではない器官のようです。そして、エネルギー感と、旨味は相反します。さながら、素材と料理の対立のようです。

ところで、求めたのは、美食に酔うことであったのでしょうか?最初は、野性的な動機であったかもしれませんが、それでは探究に付き合えるほどの動機ではなく、磨かれる内に純粋性を帯びはじめ、知性や精神性に昇華しているはずです。
また味覚を追う内に、エネルギー感を知覚する能力が開花しましたが、その後は、どうなるのでしょうか?若輩者の私には具体的なプロセスはわかりかねますが、いくつかの段階をへて、別のあり様に昇華し、食事自体は不食へ向かうことと思われます。