04デュジャック
デュジャックの04、コンボット(ハーフ)とグリアンシエール(フル)を頂きました。
どちらも以前飲んでおり、記憶にあります。
グリアンシェールはシャンボールを探求する契機になりましたし、コンボットは同ヴィンテージのトルショーシャルムと比べ、ともに近いレベルであった記憶があります。
その後、数年をおき、再度コンボットを頂きました。そのときは香と味わいが弱く、ハーフだからもうだめなのかな、とろびさんと話していました。
そこからまた数年経過しました。
コンボットは深く重さを纏い、赤果実がひそめ、チャーミングなワインから、生まれ変わろうとしているところでした。
リーデルのグラスではその高貴さを表しきれず、ロブマイヤーが必要となっていました。
まだ、この後の伸び代を感じさせました。
グリアンシェールは、コンボットほど重くなく、若い頃に感じさせる、シャンボール特有の硬さが落ち、赤果実中心の可愛らしい味わいを見せていました。
高貴であり遊び心を感じさせるのはコンボットと同じでした。
前回コンボットの不調は、同ロットのため、軽いブショネと結論づけました。
久しぶりにデュジャクがいいと思いました。
ここ最近、ロブマイヤーではなく、リーデルのグラスの良さに目覚めてからというもの、リーデル一辺倒だったのですが、この二本のワインはリーデルではなくロブマイヤーがぴったりでした。ロブマイヤーでいただくと、香りの要素が結合し、より高貴な味わいに昇華します。
リーデルがいい、と思っていたのは、トルショーやジョルジュミュニュレのような農民のワインを飲んでいたからですね。貴族のワインはリーデルでは表現しきれなく、ロブマイヤーを必要としているようです。さすが遊び人、さすが天才。久しぶりにデュジャックが美味しいと思いました。
細かいコメントはないわけではないのですが
デュジャックというワインはそうやって四の五のいうことがばかばかしくなるような個性をしていて、美味しいからいいじゃないか、美しいからいいじゃないかというような享楽性の高いスタイルになっておりました。
99
1999 リショットシャンベルタン ジョルジュ・ミニュレ ★★★★
興味はなかったものの、抜栓したところ、素晴らしかった。
タンニンはその存在をけとられず、
素朴で清楚でチャーミングな赤果実が主体。
味わいは球体的で、余韻は適度に長い。
そもそもリショットで球体的ということが特筆すべきところである。
標高が高くついつい腰高になりバランスを欠くクリュであるにもかかわらず、ヴィンテージの追い風をうけてか、球体的に仕上がっているのである。
味わいにはストレスを微塵にも感じさせず(幸いにしてコンディションがいい)、
この年の開花の良さや水不足に苦しんだという苦難がなかったことを連想させられる。
95のような年など、飲んでいると苦しみを感じさせるものになる。
そういういみで、99は最高である。
今まさに飲み頃の入り口にこのワインは差し掛かっている。
向き不向き
味覚は弱い感覚だそうです。
食べ物の味はほぼ「視覚」で決まる!味覚の割合はたった1%だった… - NAVER まとめ
・食事のときに働く五感の割合は視覚がもっとも高く、一説にはその割合は80%から90%にまで及ぶという
・食事の際の五感による知覚の割合はなんと視覚が83%、聴覚が11%、臭覚3.5%で味覚はなんと1.0%
・その証拠に、目隠しをすると食べ物への感覚が鈍ってしまう
・「美味しさ」を感じる要因として、色が大きな割合を占めている
・食の感覚的環境を100%とした場合、料理の割合は5%、食器・カトラリーは25%、残りは周りの環境(景色など)と言われています
・色や盛り付け、環境などの要素も取り入れてみると更に美味しい料理がいただけるかも♪
とのこと。
おお、なるほど、全く共感できませんが、「誰と飲むかが重要」「サービスが大事」とかいうのは、味覚が無いからなんですね。
(味覚が無いなら、わざわざあんな高いもの飲まなくてもいいのに。)
ブルゴーニュ赤の古酒が好き
少し気温が下がり、ピノノワールが飲みたくなってきました。
一方でシャンパーニュは少し飲みたくなくなってきました。
夜の道を歩くと、きんもくせいの香りが際立ち、ブルゴーニュ赤の古酒が飲みたくなります。
ブルゴーニュ赤の古酒は、酸化していなければ、傷一つなくヨードや鉄の香りが無く、どこまでも清純な味わいという印象、というよりそうであってほしいという想いがあります。
強い年やテクニカルな造りではなく、その反対の古酒、20年以上たったものには、遠くにある夜の金木犀の香り・・・、切なさや憧れや清純さや消失感が入り混じった感情が動かされます。
私はそこに生へのエネルギーではなく、霊的な方向への憧れがあります。
故に、夏には似合わずこれから冬に向けて内に、内に向いていく、この時期があっているのでしょう。それは真冬ではなく、これから冬に転換していく、ジェットコースターでいえばピークから降下していくそんな初動です。
一見弱く薄く、香りもインパクトが無いワインであっても、時に耐え、官能的な世界を見せてくれるそんなワインが好きです。
たまには物申す
ワインファンの方々のみならず、最近では輸入元も揃って東ヨーロッパに目を向けています。①いまどき東ヨーロッパのワインについて知らないと恥ずかしいと思います。JSAの今年のソムリエ試験の内容を見ればわかるとおりです。②今まで主流だったシャンパーニュやブルゴーニュの問題などほとんどありませんでした。時代は東欧。いいことです!
上記は尊敬する田中さんの記事から引用させていただきました。
田中さんを貶めるつもりもなく、この考え方に対して、個人的には違うのではないかと、戯言を書かせてもらおうと思います。気になるところにナンバリングさせてもらっています。
①いまどき東ヨーロッパのワインについて知らないと恥ずかしい
なぜ恥ずかしいのでしょうか?
無知であることは恥ずかしくないはずなのですが、それが恥ずかしくなるとしたら、それを知らないとワインの本質に至れない、何か大きな欠損があることになる、ということでしょうか?であれば、恥ずかしいかもしれません。
本場のものを知らず、偽物のワインのみで満足する、それは恥ずかしいといえます。
しかしながら、ここでいう恥ずかしいというのは、
「掘りつくされたメジャーになってしまったワインで満足しているのはかっこよくない」
という意識ではないかと思います。
そうであるなら、その恥ずかしい!は相対的な問題で、本質とは異なることであり、別の視点から見ればかっこいいともいえます。
文自体がこれ以上のことを書いていただいておらず、また、自分が東欧のワインを飲んだこともないので、続きは東欧のワインを飲んで考えてみるべきと思います。
②今まで主流だったシャンパーニュやブルゴーニュの問題などほとんどありませんでした。
これは問題です。
ソムリエの仕事は店のワインのサービスです。
そんなあるかないかもわからない東欧のワインなどのワインを取り上げ、売り上げの多くを占めるワインのことを問題にしないテストに何の意味があるのでしょうか?問題は人気のあるところを多くだし、ニッチなものは抑えるべきでしょう?
そうやって、テストのためのテストとなっているのであれば、ソムリエ試験自体の目的を見失っているのではないでしょうか?
良く売られているワインは大体みんな知っているから、試験勉強をせずとも通ってしまう、そうするとソムリエ試験の難易度も下がり権威が落ちてしまう、ということなら、迷走しているのです。
ソムリエなんて、自分の扱っているワインを徹底的に深堀して、それを客に教えてくれれることがまず第一。その次に今後入荷するべきワインをリサーチして知識を持っているというところでしょうか。店にもなく、入荷することもないものの知識は要らないでしょう。
と、素人は思うのです。
もう飲めないワイン
たまには私のワインを提供。
2004 クロ・ヴージョ ルネアンジェル ★★★
コンディションよく、奇跡の一本といえる。リリース直後、大阪の問屋さんから買った一本で、冬場には東京に持って帰ってきました。
人にワインを提供するとき、コンディションは大丈夫か、非常に気になっています。コンディションが良ければ後はワイン自身の責任で、提供者の責任を終えます。もし、田中さん、平野弥さんにワインを出すのであれば、やはりコンディションに緊張します。ブルっちゃいます。
人にワインを提供するというのはすごいな、とつくづく思います。
さて、このヴージョですが、ざらつくタンニンがありテクスチャは美しくない。またぬけの悪さの部分、良い部分を双方兼ねております。一見するとサンジュリアンのようでもあります。
未成熟な果実の青さがあり、そこそこ酸があります。酸は鋭利で透明感があり美しいです。
前述したトルショ04シャンボールサンティエとは違い、ボディと集中力があります。
ワインの造りは古臭く、ワインも田舎臭さがあり、あか抜けていないです。
頑張って美味しいワインを目指した感がなく、あきらめを感じさせます。
しかし、クリーンさがあり、醸造的にNGなものを感じさせません。
これを見ると、第一感ではシャルムシャンベルタンで古典的な造りをする生産者のワインと思います。粘土、平地に近い土地の感じ、豊かなボディが無ければモレサンドニの村名格のワインを連想しますが、このボディ感はなかなかない。ジュヴレの1erにもない。と、論理的に詰めていくと、シャルムになってしまいます。
ですが、区画名を見ながら飲むと、グランエシェゾーのニアンス・・・冷たさ・完熟しにくいタンニン・あの斜面の屈折したニアンス、田舎臭さがあり、それとシャンボール・レザムルーズの瑞々しさが混ざり合っています。
★3にしました。★4と迷いましたが、2つ突出したところがあるのか?と問われると、ボディと素朴であるところなのですが・・・
★・・・・・工業製品ワイン
★★・・・・普通のワイン
★★★・・・きらりと輝くところが1つあるワイン
★★★★・・〃 2つあるワイン
★★★★★・スペシャルなワイン
個人的にはこの素朴さが、いまいち素朴に感じられないので突き抜けなく、★4とできません。安定を得るための何らかの犠牲をおこなっているのか、農薬を感じさせるのか、読み取りかねますが、そこも減点している点です。
もう一いき、惜しい。
溶け合う世界
★・・・・・工業製品ワイン
★★・・・・普通のワイン
★★★・・・きらりと輝くところが1つあるワイン
★★★★・・〃 2つあるワイン
★★★★★・スペシャルなワイン
2004 ジャッキートルショ― シャンボール・ミュジニー レ・サンティエ
グラスに注がれると溢れる香りの世界。★★★★★
様々な味わいが香りに昇華し、香り8、味わい2で、香り主体の構成。
リリース直後のチャーミングな赤いベリー主体の直線的なスタイルから、
銅やリキュールを加え、バックに高い酸ときれいなタンニンが共存し、
妖艶さと爽やかさ、円熟と幼さを兼ね備えた、稀有な存在。
味わいはベリーの後に酸があたり、最初のインパクトが心地よく、それが香りに昇華していく。
そのあと、消えゆくように感じられるが、心を落ち着け向かい合うと、ワインによって後方へ引っ張られるような感触がつづき、甘い味わいが細く長く続く。その引っ張られ感はパワーや果実ではないところが、悶絶するポイントとなる。これが薄いワインであることが素晴らしい。
また時には後方ではなく、下方に伸びるような余韻を感じさせる時もあり、万華鏡のように表情を変えていく。
実体感はないが、粘土質土壌由来と思われる包み込むやさしさを有し、心を溶かす。
Rさんいわく1ロットに1本程度ある当たりとのことで、ありがたい。
この思い出を墓場まで持っていこう。
2009 モレサンドニ クロソルベ ダヴィッドデュヴァン(エノテカ)
★★★
やっと飲み頃に差し掛かりつつある印象。
今だ強いものの、リリース当初、全くブルゴーニュらしくなかった記憶が衝撃的であったが、今このボトルはブルゴーニュの味に近づきつつある。
他の生産者を飲んでも09はそろそろという印象がある。
酸は弱く、芯が不足しているのではあるものの、それを補うようにして人好きのする性格でボリューム感とゆったり感がある。ゆったり感などはグランクリュによくみられる個性である。
09の前後5年をみても、これほど外向的で親しみやすい年はないように思う。
あと少しタンニンの修練性が落ち着いたのちには、また一段上るであろうと思われる。現時点ではグラスに注がれる量が多いと香りが強いため黒いベリーが主体となり、その奥にトルショーに似た世界を見ることができる。
グラス比較
・ロブマイヤー グラスⅢ
・ラディコングラス 写真左から
サンティエ、クロソルヴェの両方を比較させていただいた。
短評:
■ラディコングラス:
香りと味の印象が時間によって激しく変わっていく。
香りを保持することが難しい。
また味わいも時間によって変わる。おすすめではない。
■ロブマイヤーグラスⅢ
味わいの構成要素をデジタルに分解し見せる。ティスティングには適している。一方で官能的な飲み方をするには適していない。なぜかは次に続く。
■リーデル ヴィノム
味わいの構成要素が、水彩のにじみ絵のように重なり合う。
例えばサンティエであれば、左のほうからリキュールが広がり、右のほうから赤いベリーが広がりそれが中央で混ざり合い溶け合う。
それが何と何の香りであるか、トルショーまでいくと分析を許さず、ただただ身を任せるしかなく、官能の世界に浸らせる。
これが、09年のソルベだと、にじみ絵にならず、味わいは重っているものの、微妙にたての隙間があり、分析的に見れてしまう。これは、熟成がまだ十分ではないのではないか、熟成することで、その溝が埋められ、にじみ絵の世界に入れるのではないかと思っている。もっと比較してみないといけない。
ということで、思いもかけず、リーデルを再評価することになった。
ワインコンテスト
ワインを評価する手法は大きく分けて2つある。
一つは評価基準を定め、基準に基づき評価する。
一つは評価基準を定めず、多数決で評価する。
そのどちらかしかないのではないだろうか?
前者の例はパーカ、リアルワインガイドなど。
後者の例は市場価格。
もし、ワインコンテストを行い、前者の手法で行うのであれば、ひとりで最終的に評価するのが一つの解である。
ただ、ひとりで行うのには限界があるので、あらかじめ、スクリーニングされていることがいいかと思う。
合議制で評価軸を定め、評価軸に対してブレのない評価ができるだろうか?
その評価軸に賛同できないかもしれないし、ある人はその評価で厳密に図る能力が無いかもしれない。
なので、遊びとしての評価は面白いのだが、その評価によって下された結果というのは結局曖昧なものとなり、評価結果を使うことができない。
なので、
ジャパンワインコンクールをやるなら、
田中さんなどの第一人者が細かく評価していただければ、
使える評価軸になる。
結局、合議制の評価では、後々、なぜ金賞なのか、金賞とは何なのか、分からない。
必要としているのは、その人の評価を多くの人が知っており、その人が評価したらどうなるかとなる。
なお「思い出」「シチュエーション」「誰と飲むか」が味わいに加点される評価者の採点は、その人以外には適用できないため、残念ながら参考にはなりません。
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翻って、権威のある、AOCのブルゴーニュ評価は、ひとりの人ではないのだと思う。有識者が集い、議論し評価しているのだろう。アペラシオンの評価には、ブレがあり、一貫性がない。例えば、ジュヴレはシャルムやマジなどプルミエにすべきところをグランクリュにしていたり、グランドリュをプルミエにしたりしている。
ただ、あれはあれで、あのブレが複雑さ?(カオス!)を生み出しており、ブルゴーニュのいいところである。
そして失敗しつつも、ブルゴーニュAOCに一貫性を見出せるところが、エスプリがきいているといったところなのだろうか。
最近自宅で飲んだシャンパーニュ
評価
★・・・・・工業製品ワイン
★★・・・・普通のワイン
★★★・・・きらりと輝くところが1つあるワイン
★★★★・・〃 2つあるワイン
★★★★★・スペシャルなワイン
で評価してみました。
ポル・ロジェ ピュア 【ブリュット・ナチュール】 ポル・ロジェ オリジナル ギフト箱【正規品】
https://item.rakuten.co.jp/katsuda/1548381/
商品単価:6,300円
評価:★
固い。そして躍動感が無い。
また、冷たく、無機質。
ラエルト・フレール ブラン・ド・ブラン ブリュット・ナチュール 750ml LAHERTE FRERES BLANC DE BLANCS BRUT NATURE
https://item.rakuten.co.jp/katsuda/10075991/
商品単価:4,500円
評価:★★★
注ぎたての香りが軽やかで、高貴。白亜の石灰を思い出させる。
多分、この瞬間にだけあった、特殊な状態かもしれない。
先日ラシーヌのシャンパンの生産者来日ワイン会にいきました。
そこでラエルト・フレールのもっと価格の高いものもありました。
確かに、良いものはやや上質でありましたが、良くも悪くもトップキュヴェとこのボトムキュヴェで差があまりない。
確かにトップキュヴェは造りを工夫しているが、葡萄のポテンシャルがあまり変わらないのではないかと思った。
ブルゴーニュにはあり得ない話である。
シャンパーニュ プレステージ エクストラ・ブリュット 【自社輸入】Champagne Prestige des Sacres Extra Brut 750ml
商品単価:5,600円
評価:★★
ふつう。語るところはない。
商品単価:4,580円
評価:★★★
これだけドサージュ3g。
ピノ・ムニエで有名なフェスティニー村のピノムニエ100%。
ムニエの安定感のある強さにより甘さがバランスがあまり気にならない。
やはりフェスティニーのムニエはいい。田中さんのところでいただいたものには遠く
及ばない。あれがトップメゾンのトップキュヴェを支える味であったのに対して、
これは中~大手メゾンのまあまあの味。
とはいえ、まあまあのシャンパーニュを5000円未満であればGood。
商品単価:4,980円
評価:★★
やや柑橘系の味わいで、青りんごと高い酸。
普通のワインであるもの、そこそこエネルギー感がある。
決して関心はしないが、がっかりもしない。
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総評
慣れ親しんだブルゴーニュであれば、村と畑の場所を聞けば、味わいが想起されます。
5000~6000円のシャンパーニュになると、それなりにこだわりをもってつくる生産者でノンドゼとなると、シャンパーニュの辺境の土地に。
辺境は所詮メインになれなかった村であり、どんなに頑張っても、それなりの味になり、翌日以降に満足感がありません。
樽臭いブルゴーニュは飲みたくないのですが、この価格帯のシャンパーニュはあまり得られた感がない。
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その他
ちょっとだけブルゴーニュを
・2009 ポンソ ブルゴーニュ
ややブレット。それ以外は通常運行。★★
・2014 ヴォーヌロマネ オーレリアンヴェルデ★
ジュヴレを6本、ヴォーヌロマネを1本購入。ジュヴレはすべてのみきり、最後にヴォーヌを。
先日花井屋さんと話していた時に、昔のラシーヌがたたき売りしたヴェルデよりいまのヴェルデのほうが美味しいといわれていました。
個人的には全く逆の意見で、昔(05,06)のヴェルデはもっと素朴で複雑感がありました。いまのヴェルデはアルコール工業製品の味わいです。感心できません。
今のワインはブルゴーニュというより、ニューワールドの味なのかな。
そういうものが良しとされるのかもしれません。
ただ、それはブルゴーニュではないと思います。
なお、1カ月前に06のヴェルデニュイサンジョルジュのヴォーヌの横の畑を飲んだのですが、ペタンとしていて、リリースしたての複雑さやエネルギー感がありませんでした。06ヴェルデはリリースしたてが良かった、ともいえます。
出世とワイン好き
先日イタリアンを部下におごった。
それはちょうど社外講師を2日間していたときの2日目で1日目のランチで食べたイタリアンのパスタが美味しく、セミナーを4時半で終え、会社に電話したところ、その日任せていた仕事がトラブっているようで、会社に戻り、その日は終電近くまで対応していた。いろいろ頑張ってもらっている2人を今日もまた遅くまで残らせ、一人は新婚で、大変申し訳ないな・・・と思い、明日も同じところで同じパスタを食べるつもりだったので、誘った。
その一人から、今度の日曜日に、他部署のエースと目されている人から美味しいそばを食べに行くことを誘われているが一緒にいくことを誘われた。そばはカツオだしが入っているのであまり外で食べないのですが、それが別の食べ物でもNO!でした。
弊社は大手電機メーカである。しかも勤務地が東京である。
そんな環境で「仕事ができる人」でグルメな人を見たことがない。しかしながら、美味しいといわれるものを食べて知っている人はそれなりにいる。が、それらの人をみて、分かっているとは到底思えない。
食が分かっていると思う人は、お人好しで「仕事ができる人」グループではない。
それも考えてみれば当然で、「仕事ができる人」というのは基本忙しい。
やれ部内ゴルフだ、やれ接待だ、やれ英語だ、日経新聞だと。接待など、味わって食べているようでは昇進できません。常に周りに気を配り、動き、発言する、あの場は味覚を鍛えるところではありません。例えば「まずはビール」というのは、最初の乾杯をするのにいちいちオーダを取っていられないのであのルールがあります。「あ、同じもので」というのも注文を分けるとすぐ来ないから(忙しいので)。接待や部会は食が中心ではなく、あくまでもコミュニケーションを目的とした仕事です。そこに食を味わうという世界はありえません。
それでまた、所在地が東京です。
同じ会社でも地方勤務であれば時間はゆったりながれ、見張る偉い人も東京にいるのでしばりも緩いので、内省し食について考えることもあるかと思うのですが、ここは東京、そんなことはないでしょう。
人の能力というのはトータルするとほとんどの人は同じくらいではないかと思っています。全体を1だとすると、それを100%仕事にフルひとは「仕事ができる人」になります。能力というのは日々の積み重ねで偏りが出てきます。仲のいい「仕事ができる人」がぽろっといったのですが、「正直味が分からない。甘いものはいいが、それ以外は・・・」「カレーなどだめ。」「お子様ランチのようなものがいい」など。
なので、一般化すると、自分の力で経済的に豊かになる人というのは、食は栄養補給かコミュニケーションツールとしか思っていないのではないかと思うのです。そんな人がワインを飲んでも分かるわけもありません。なにせそこに能力を振っていないのだから。
余裕の出てきた50代、60代で趣味が無いからワインを・・・といっても、能力は若いころから培うもので、既に固まっています。科学的には60歳になると検知できる味覚・嗅覚の幅が甘いものだけになり、また少量では検知できないといったように、味覚能力が数値的に半減するそうです。
なので、残念ですが、余ったお金でワインを買っても存分に楽しむことはできず、ブランドに傾倒するなど本来の在り方とはことなる方向に突き進みます。
ワインが分かるワイン好きというのは経済的に大別すると次のように分類できると思います。
1.仕事はほどほどに・・・、限られたリソースをワインに投入する人
2.2世、3世・・のお金持ちのお家柄で、余裕を持った生活をする人
1の人は大変です。(私です)。そこに子供がいたりしたら、目も当てられません。子供は金がかかります。
2の人になるとすごいです。例えば取らぬ○の店長なんかはその類の人です。昔は地主=酒屋みたいなところがあって、歴史的には江戸やそれ以前など酒を売るのは神社の特権だったりします。なので昔から酒屋はお金持ちで、そういう人がワインに狂うと60年以前のコンティを数人でポンポン開けちゃったりします。2の人には経験値では絶対に勝てません。
神の雫の主人公など、そういうことが分かった人が作った設定で、なおかつ味覚・嗅覚にスキルを全振りしている、という設定です。
最高ではないですか!
例えば、ボルドーの5代シャトーのワインを飲んで、子供のころそこで食べた葡萄を思い出し涙するというシーンがありました。
あれなんか、2の人でないとできないシーンです。
素晴らしい。
ただ、残念なのが、その設定を理解できていないかのように、主人公は凡人化していき、堕落の一途をたどっています。
そこから察するに、あの設定を作った人は今の作者ではなかったのだろうと思います。
自分も2の人になって、
「ジャイエなんか糞ワインだから、捨てちまえ!」
とかやってみたいです。