ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

Laurent Roumier

2008 Chambolle Musigny 1er Cru Les Charmes  /  Domaine Laurent Roumier

先日飲んだ07ポンソジュヴレと似ている。特に酸の個性と強さが似ている。また梅酢・レーズンフレーヴァーも似ている。

ただ、深み・複雑さ・アタック~アフターまでの変化が、ローランルーミエにない。ポンソはアフターに厚みのある味わいが(酸だけではなく)長く残り、一方ローランルーミエは酸が残るのみ。

 

ポンソのジュヴレは、ロックの特級ヴージョと並べて鑑賞するのに耐えることができ、ローランルーミエの1級シャルムを凌駕する。ポンソがどれだけいい区画を持っていようと村名のみで成し遂げられません。グランクリュ・79%、プルミエクリュ・13%、ヴィラージュ7%の比率を考えると、上の区画を落としていると思います。

そう思えば、この高騰したポンソも妥当と納得できます。(ただ、ポンソの特級を飲んで価格相応と思ったことがありません。もう一度飲んだら、今なら、分かるかもしれません。)

 

なお、ポンソのサイトにジュヴレ・シャンベルタン キュヴェ・ド・ラベイユのリューディの質問をしてみたので、回答が楽しみです。

イッカァァァーーーーーーン!!

持ち寄りワイン会で「今日もどのワインも状態がよく楽しかった」なんていうことが、あろうはずもないと思っています。

5本持ち寄ったら、1本はダメで、3本は普通で、1本はまあまあ良い、そんな感じではないでしょうか?なかなか、納得のいくコンディションのものはない、それがよくある状況だと思います。

 

ああ、コンディションのことを考えると、憂鬱になってきますね。コンディションのディティールが分かってくると、どんどん追い打ちをかけるように憂鬱になってくる。ガイバラ(陶芸家)が不出来なツボをみて「(求めているものはこれじゃない!)イッカァァァーーーーーーン!!」みたいに今飲んでいるこのブリチックも心の中で叫びながら捨てることになりそうです。

そういうものだと割り切るんだと、ある店主はいっていました。

ただ、そうでもない世界もあると思います。もうツボ割り職人はやめよう、・・・・・と思いながら、

 

 

またポンソを買ってしまいました。またツボ割り職人かな。

残念古酒とはまき

1971 ミュジニー ドミニク・ローラン

を開けた。あのドミニクローランではなく、別のネゴシアンです。最初(一口目は)酸が生きていて当たりかと思ったのですが、甘ったるい残糖感のある作りが前面に現れ飽きてしまいました。数杯飲んで冷蔵庫に放置。ミュジニーやシャンボールやヴージョなどの個性を忍ばすのではなく、フルボディで甘く単調。

古いものがいいものとは限らない。

3~5年以上前に買ったワインは50%の確率で、青かった、と反省することが多い。古酒は購入した時にこそ、飲む意義が生まれているのであり、そこから時間を経過すると、このように、もうすでに分かっている状態になって、飲む意義がなくなっている状態に陥る。そうなると、結局どうして買ったのか、わからなくなる。

 

先日、葉巻を吸ってみました。

人間たまにいぶされた方がいいのではないかと考え、古来からあったたばこ、つまり葉巻を試すことにしました。

葉巻は、煙の味はいいのですが、口や鼻に残留するにおいと苦みが味覚をだめにすることを再認識。刻みたばこであれ、葉巻であれ基本は同じものであり、味覚を考えるとやるものではないと、当たり前のことを勉強しました。
いぶされるだけなら、コーヒーの焙煎や御香で十分のようです。

なお葉巻屋で、店に来た人が4万の買い物をして、店長と葉巻のマニアックな質疑応答をして「XXXの国は安いけれど葉巻を持ち込める本数が制限されているんですよね」→店長「xxxの国だけでありません。免税店で買うと50本までですが、そうでなければ何本でも買えます」みたいな、いうことなすこと、店長に否定されるやり取りが繰り広げられていました。

ワインの世界も、葉巻の世界も同じ構図でした。

状況は輪をかけて飲まない方向へ進む

ワインを飲まなくなり、仕事がさらに激務化しました。
そうこうすると、ここ4カ月続いた疲労がたたり、体調を崩し、
風邪が鼻にきました。そうすると体調が悪い上に、味覚が
ない状態に。そこに並行して妻が癌と診断され、もう、
それどころではなくなりました。

ドミノ倒しのように、飲まない方向に強制的に流れている
ようです。幸いにして特段ワインに興味が向かないため
苦にならない状況です。

こうして14年ほど続けてきたワインの趣味と距離をおくこと
で実感するのは、ワインの趣味がなくなると、お金に苦労しない
ということです。今月うん万円使っちゃったのに、まだこれも買わなきゃ・・・とかいう状況に陥りません。気楽なものです。
細かい出費にもあまり苦にならなくなりました。
楽ちんです。

昔から拝見させていただいているブログを見るのですが、
通常でしたら「自分ものみたい!」というような気分に
なるのですが、これがまた全く起きません。
というのも、日本で流通し手に入るものがそれが本当の
本来の味なのか大きく懐疑的になっているからです。

なのでワインを嫌いになったとか、どうでもいいというわけ
ではなく、飲みたいものが無いという状況です。

ワインを飲む気になれない

2016年5月初めの平野弥パカレワイン会の余韻がまだ尾を引き、いまだワインを飲む気になれない。先日、シャンボールを開けたのですが、納得できず、1杯目の途中で嫌になり、残りは放置しています。

来月くらいには、出回っているコンディションのワインを飲みたいと思うかもしれない。し、思わないかもしれない。おかげさまでワインを買うこともない。

 

現在、選択肢が極端に狭くなっており、どこかでブレイクスルーがおこり、視野が変わるのだろうと思うのだけれども、その時がたのしみでもあり、今のうつうつとした時も楽しいです。

コーヒーの豆の状態について

焙煎後のコーヒーについてですが、経験上、会社に置いておいた方が香りが飛ばずなおかつ酸化が穏やかに進む傾向があります。不味いはずの池袋の水でも美味しく楽しめます。

ワインの平野弥の件で、温度管理の重要性を認識させられました。温度は20度を超えてもいけないし、下がりすぎてもいけない。(多分10度を切ってはいけないのではないかと思っています)。エアでの輸送が低温のダメージを与えているのではないかと平野弥さんのサイトにありました。

コーヒーについても、実は温度管理が重要ではないかと感じています。
ということで豆セラーを買わないといけないかもしれません。

 

 

ワインの状態

ワインの状態がいいとは、これまで傷が無い、えぐさがない、
軽い香りを失っていないといった様々な点で感じていた。
しかし、別の見方で、ワインのディティールが明確になっている状態であるということこそが、状態がよいといえるのではないかと学んだ。ワインのキャラクターの細部がボケず曖昧になっていない、即ち細部まで細かく書き込まれた絵画のようなものこそがよい。

当然ながら「細部が書き込まれている」ことと、偉大なワイン=スケールが大きいワインというのは異なる。細部が曖昧であっても偉大であればいいという考え方もある。自分の意見としては、スケールよりもワインの構成と構造のほうが重要でありそれを明瞭にするのは細部の書き込みである。また壊れやすいワインが状態が良いほど繊細で面白いとも思える。