ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

業務が出来そうです

昔の大学生の頃の友人たちが、夢にでてきました。
それで、起きてすぐ、朝5時ごろ、FBなどで友人たちを探し、メッセージを送ってみました。
メッセージの返信があるか、楽しみができ、ウキウキして会社に向いました。

会社に着き、エレベータにて、今日はコーヒーを忘れたことに気づきました。

絶望です。

昨日、焼いた豆は、とても美味しく、それをまた飲めることを楽しみにしていたのですが、本日はそれを我慢しないといけないようです。
しかも、昨日の豆は、過去最上の出来です。

今まで、自分で焙煎したコーヒーを日中飲まずして、どうやって生きていたのか、忘れていました。もう、コーヒーを飲むために一刻も早く帰宅したいです。


口腔内が、コーヒーを望む唾液に満ちています。
ちょっと近くでコーヒーを買おうと思いましたが、この欲求は昨日焙煎したコーヒーのためのものであり、代用品では満たされることは無さそうです。
この抑えきれない欲求は、正にコーヒー依存です。


最近、食事の量を減らしており、「余り食欲がなくなってきたな、以前は大好きであった、白いご飯も食べたくなくないし、インドカレーも別に食べなくてもいい。うーん、美食欲も減ってきて、自由になってきた。」と思っていましたが、自分の中に、まだこれほどの美味への渇望、執着があるとは気づいていませんでした。
コーヒーを焙煎し飲むのは、あくまでも、品質追求の喜び、世界への探究心と思っていましたが、そうではなく、奥底に、コーヒーへの依存がありました。
大変面白い発見です。


こうして、欲求を意識化すると、ロジックで扱え、自分から切り離すことが出来るようで、この文章を書いた今、「飲みたい」という自分が、相対的なものになり、自分の欲求を切り離すことができました。

このまま仕事をせずに帰らず、
大人しく帰ってから、コーヒーを楽しむことができそうです。

良かったです。

食の完成

食は、幼い頃に、無意識の内に、行うようになる。
その内に、好き嫌いが意識化され、食べ慣れることで、幅が広がるようになる。
成長し、美食家になる人もいます。そのような人は、レストランに通うなど、より、美味いものを求め、追求します。最初は、味わいが濃いもの、強いものを求めます。その、はじめの終着点では、美味しすぎないことの良さを知ります。そして、エネルギー感、に気づきます。

エネルギー感を感じ取るのは、味覚ではない器官のようです。そして、エネルギー感と、旨味は相反します。さながら、素材と料理の対立のようです。

ところで、求めたのは、美食に酔うことであったのでしょうか?最初は、野性的な動機であったかもしれませんが、それでは探究に付き合えるほどの動機ではなく、磨かれる内に純粋性を帯びはじめ、知性や精神性に昇華しているはずです。
また味覚を追う内に、エネルギー感を知覚する能力が開花しましたが、その後は、どうなるのでしょうか?若輩者の私には具体的なプロセスはわかりかねますが、いくつかの段階をへて、別のあり様に昇華し、食事自体は不食へ向かうことと思われます。

短時間焙煎2

使用する焙煎機によって、短時間化する方法は異なる。
火に接する時間を増やし、間接的な熱風に接する時間を短くすることで、実現できました。
それが、我が家の焙煎機では、少量焙煎でした。
違う焙煎機では、違う解決策かもしれません。

今、改善案としては、焙煎機のドラム内の羽の枚数を減らす事が考えられますが、それは、困難なため、実現は容易ではないと思います。

また、究極的には、一粒焙煎だと思いました。

人がエネルギーを与えることができるか?

ワインを注ぐ人が持つイメージの影響は、あると思います。例えば、平○○でのワイン会で、あるボランティアの方が注ぐワインは、いつも暴れていたり、欠けていたりします。
ブルゴーニュ好きではない人達の集まりには、飲むものがないので、不味いビールなど飲みたくないので、ワインを持参しますが、気を使って、ワインを注いでくれたりするのですが、ああ、そんな、適当にやらないで、触らないで!と思います。
なので、人が主催のするワイン会では、ワインに触らないようにしています。


ワイングラスは、減衰と変質しかさせないはずです。エネルギー保存則が成り立つなら、そのはずです。


これらは、味の状態を変えていたり、スケールを減衰させている活動です。スケールを与えることは、多くの人には、自分も含めて、出来ません。

生命は生命から生まれます。
「スケール」「ポテンシャル」「立体感」と呼んだものは、生命の授受により与えられると推察されます。

インドカレーに、生の生姜を載せると、立体感が生まれます。火を通してスケールが小さくなった分を補っていると思います。
インドカレーの料理人は、スパイスの新鮮さにこだわります。新鮮であればスケールが大きくなるのでしょう。
とってすぐの野菜は、やはり、スケールが大きいです。

スーパーの惣菜、コンビニ弁当は、
最近のものは分かりませんが、
15年前は、スケールがありませんでした。

ワインも酸化したものは、スケールが小さくなります。
農薬が多かった、80年代、90年代は、小さいです。

ブノワライエのワイン会で、店長が、味を整えるため、色々されていましたが、スケールが小さくなっており残念でした。



料理することで、スケールを小さくしないことが、
良い料理人の条件と思われます。

ポテンシャル

コーヒー35分焙煎と同時に、同じブラジルの豆を20分焙煎を行っており、確認したところ、
20分焙煎は、先週同様、躍動感と、スケールの大きな味がありました。
高温にさらすより、焙煎時間を長くするほうが、スケール感を削るようです。
ここから推論されるのは、理想的な焙煎は、
・短時間であればあるほどよい
・内部まで焼きたい
の矛盾する二点を満たすものです。

豆の量を増やすと、焙煎時間が長くなります。
であれば、豆の量を減らし、焙煎時間を短くしていき、最良の量をはじき出せばよい
という仮説が考えられます。
次週はそこを検証していきたいと思います。


■火と味わいの大きさ
コーヒーの焙煎を考えた結果、豆の時点で味わいの大きさや躍動感が決まり、
焙煎「火」により、それが削られていきます。
味わいの大きさと躍動感を一言で言うと、ポテンシャルと纏めておきます。


ところで、ワインについては、ポテンシャルを与えるのは、まず、ブドウ自身です。
その他には、シャンパーニュに代表される、瓶内2次発酵によっても、ワインにポテンシャルを与えます。
瓶内二次醗酵前のシャンパーニュは、平坦で面白みが無く、二次醗酵後にあの躍動感のある味わいが生まれます。
シャンパーニュは泡があるから躍動感があるのではなく、二次醗酵による躍動感なのです。
現に、泡を飛ばしても、シャンパーニュの躍動感はなくなりません。
(しかしながら、ドサージュしたものはその躍動感をなくします。ドサージュに含まれる砂糖がそのまま摂取される
ことで、エネルギーを失うのでしょう。ブレサリアンを目指す人など、砂糖の弊害を上げています。そこと連動して
いるのでしょう)

また、ルシアン・ル・モワンヌが行っている、シャンパーニュの二次醗酵とおなじく、樽熟成課程において澱引きせず、
24ヶ月樽熟期間を行います。モワンヌは、酸化を防ぐために澱引きをしないといっていますが、あの深い味わいは、
酸化していないことによるのではなく、澱と長時間接していることに起因していると思います。
それは即ち、澱=酵母からワインにポテンシャルを与えていると思われます。
これはシャンパーニュと同じことを行われています。
次のようなスタイルが良いのではないでしょうか?
・ブドウの収穫時期を遅くする。(遅摘にする)・・・・・・ブドウのポテンシャルを上げる
・樽熟期間において、澱引きしない。・・・・・・・・・・酵母からポテンシャルを損なわない
・瓶内熟成期間においても、瓶に澱を入れ、熟成させる・・同上

三番目など、想定外の醗酵がおきる可能性がありリスキーですが、
ワインはリスキーなものであり、リスクをとって、より高みを目指すスタイルであって欲しいです。


■まとめ

ポテンシャルを与えるのは、いつも、生命であると思われます。
化学的な操作(過熱や、酸化、消化する)では状態は変わりますが、ポテンシャルは与えません。
人がポテンシャルを与えることができるのは、醗酵過程が上げられます。

ルモワスネ1985

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三本目にして悶絶!
ブシャールのモンラッシェと言われても、
納得。



言い過ぎました。

訂正:三本目ではなく、五本目でした。他、三本は、酸化、一本はやや酸化です。たまたま、当たりが出ただけで、他には当たりが無いかもしれないです。コルクの劣化が進んでおり、このボトルはたまたまコルクが良かったようでした。