ブルゴーニュワインの感想 改めて、テーマ見直し中

     このブログと私は行き先不明です

最近好きなワインブログ

私、ワイン飲みませんが、人様のワインブログを楽しませてもらっています。お気に入りは、


ブルゴーニュ、ときどき浮気もするワインブログ
https://ameblo.jp/bbwine/
ゆるくて好きです。

ワインと模型と神社の徒然
http://oldvin.seesaa.net/
つられてデュガピィ白買っちゃいましまた。ワイン飲まないのに…

ヴィンテージワインを楽しむ | 魚銀公式ブログ
https://uogin.com/blog_uogin/
仙台でのワイン会です。いつか行きたいです。年に一回、二回くらい飲むと思うので、そのときは!

戯言

誰も見ていないので好きなことを書きます。

ガラス瓶はエコじゃない
http://vinicuest.com/wine_articles/2021/01/16-jan-2021.html

そもそもワインは自然破壊して飲むのでエコではないですし、輸出するのもエコではないのでやめてください。
となります。エコではないワインを売っておきながら、ちゃんちゃらおかしいです。
もっと極端に言えば、この人の論法だと人間自体エコではないです。
エコを唱える人は世界に無関心か、確信犯かと思います。


https://m.facebook.com/nh.winesalon/#!/story.php?story_fbid=3954195404612636&id=463050660393812
>沢山の基準を持たないとワインが面白くなくなる

これはワインの究極的なビジョンがないため起きる事象かと思います。ビジョンがあって基準や手法が考えられるのであり、基準があってビジョンは生まれません。
ビジョンは好みと同一であるべきです。
何故?
それは美味しいブルゴーニュを諦めたからです。

戯言

誰も見ていないので好きなことを書きます。

ガラス瓶はエコじゃない
http://vinicuest.com/wine_articles/2021/01/16-jan-2021.html

そもそもワインは自然破壊して飲むのでエコではないですし、輸出するのもエコではないのでやめてください。
となります。エコではないワインを売っておきながら、ちゃんちゃらおかしいです。
もっと極端に言えば、この人の論法だと人間自体エコではないです。
エコを唱える人は世界に無関心か、確信犯かと思います。


https://m.facebook.com/nh.winesalon/#!/story.php?story_fbid=3954195404612636&id=463050660393812
>沢山の基準を持たないとワインが面白くなくなる

これはワインの究極的なビジョンがないため起きる事象かと思います。ビジョンがあって基準や手法が考えられるのであり、基準があってビジョンは生まれません。
ビジョンは好みと同一であるべきです。
何故?
それは美味しいブルゴーニュを諦めたからです。

あなた達は若くて良いね

高1になる娘が、上級生の高2、高3の先輩に「若くていいね」と言われるそうである。その背景や真意は分からないものの、勝手にあれこれ考えてみる。

上級生は進路や受験勉強に追われ、プレッシャーに晒されているのであろう。そんな中、高一の娘は、上級生からすると呑気で楽しそうなのであろう。また上級生からみると未来に対して無知であることから若いと見えるのではないか。

確かに青年期には、そういう若さについて思うことがある。
実際に成長期故に、身体や知能の変化が大きく、1年違うと、大きく変わっている。1年の差異を感じやすく、若さが失われたことを感じていた。
しかし青年期を終え、20代後半ごろから身体的な変化が少なくなる。
それと共に、老いる感覚が減っていくようである。20代から今の43歳になるのに当たり、気分的には変わっていない。
むしろ、現在はダイエットして筋トレした結果、20代後半より身体が軽く、(高校生の頃の体重で、あの頃より筋力がありそうである)若返った気分である。


どうやら、健康で身体性を失わない限り、人は老いを感じることもなさそうである。また、歳を取って記憶力が落ちることも感じないし、当然知能も上がっている。良いことづくしである。ワインを買わないためお金も減らないし、会社でのポジションも確立されつつあるため、軽く全能感を感じてしまう。

(後ほど追記予定)

ダイエット記録

当初の体脂肪率10%になる56.8kgまで減量できました。
f:id:machiya11:20200726143358p:plain
ただ、タニタ体脂肪率は13%あたりから体重と比例しなくなっており・・・
f:id:machiya11:20200726143159p:plain
この数値だと、途中から筋肉だけが減ったということになります。
ただ、言い訳をさせてもらうと、筋トレの重量は上がっていますし、順調にウェストサイズも下がっています。なので、実際のところは、タニタが間違っており、体脂肪は減っていると思われます。

そもそも、体組成計は推定値で、通電程度で正確な脂肪率がわかるわけもなく、その上、研究費もかけられていないので、正直いい加減です。使えないな、タニタ・・・。


一端、目標数値を達成したので、増量期に入ることにしました。徐々に摂取カロリーを上げ、体重が増加しないラインの摂取カロリーを把握することを目指します。

次は58kgまで増量して、そのあとまたちょっと減量しようかと思います。

断酒して半年が経過しました

20年1月より断酒を始め、半年が経過しました。
もとより禁断症状や、ワインが飲みたくてしょうがない!と言うようなこともなく、苦しくもありませんでした。なんとなく始めた断酒ですが、なんとなくやり続け、なんとなく半年が経過しました。

アルコールを辞めたくても辞められない人は、アルコールを仕事にして飲まないといけない人以外論理的にはいないはずです。論理的には、
①アルコールを辞めたくて、辞めれる人            ・・・ ボディメイクしている人、健康になりたい人、お金がもったいない人
②アルコールを辞めたいが、飲む必要性があり、辞められない人 ・・・ ソムリエ、ライター、接待業
③アルコールを辞めたくなくて、辞めない人          ・・・ お酒好きな人、健康な人、裕福な人、女性
④アルコールを辞めたくないが、飲めない人          ・・・ 未成年、家族によって規制されている
である。

途中飲んでも良いかな・・・とも考えたのですが、筋肉へのデメリットを考えると、グラス2杯だとすると、ワインを開けると無駄になり、飲めないのです。また、ワイン会などの料理も、カロリー計算できないので、食べれないです。(そもそも、成分計算が簡単な素材をそのまま食べることが多く、嫁の料理も食べていないですね。)またCovidー19の影響で、ずっと引きこもっているので、飲み会もないですし、ワイン屋に行くこともないので、テイスティングバーにも行かず、自分の強い意思というより、結果的に断酒をなんとなく続けている要因と思われます。

断酒したメリット、デメリットをまとめてると次のような心境です。
【メリット】
 ・お金が減らない!
 ・肝臓が疲弊しない。
 ・筋肉が減少する要素を減らせる。
 ・太る要素が減らせる。
 ・ワインを探す時間が減らせる
 ・アルコールを摂取するのは好きではないが、ワインが好きだからアルコールを飲まざるをえない矛盾から解放された。
 ・「ワインストーリー」からの呪縛がとけた。
 →生活がシンプルになった。
【メリットかデメリットかよく分からない変化】
 ・ワイン友達と連絡していない
 ・ワインセラーの電気代が無駄だと感じる。(スペース代も無駄だと感じる)
 ・ワインのことを忘れて生きている。
 ・一度ブルゴーニュに行ってみたかったけれど、今となってはそのコスト分の思いがなくなった。
 → 同じく生活がシンプルになった。
【変わらないこと】
 ・ブルゴーニュシャンパーニュは好き。
 ・味は思い出せる。


もう少ししたら心境も変わるのでしょうか?

ベジタリアンは道徳的ではない

私はベジタリアンであるが、「ベジタリアンは道徳的ではない」と思う。


道徳とは何か、思うに、社会的に良いとされていること、と思う。
ここでいう「社会」は人によって、隣近所であったり、職場であったり、趣味の仲間であったり、家族であったりして、人それぞれ定義が異なる。
最近だとマスクをつけずお客さん先にいったり、電車に乗ったりすると、不道徳感がある。一時期はマスクをつけずに閑散とした道を歩くだけで不道徳であった。また、近所のお地蔵さんにマスクがつけられていた。これはマスクが、COVIDー19に有効かどうかが問題なのではない。マスクが付けられていることが道徳性を示しているのである。
他の例を挙げると、温暖化問題、宮内庁の予算、NHK問題、検察問題、赤十字、軽々しく触れてはいけない議題がある。

どうやら、我々は権威付けされたものについて、軽々しく議論してはならないという気分が植え付けられているようである。言論の自由はあるのだから構わないはずなのに、である。その背景には、権威があって、道徳が成立していることにあるのではないだろうか?
WHOが〜こう言った、
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議によると、〜〜〜を避けるべきである、
IPCCによると、〜〜〜により地球温暖化しているとのことである、

このように、権威の発言を元に、道徳が形成されていると思う。
なので、「権威」について議論することは不道徳になっているようである。

ちなみに、ヨーロッパ圏で無宗教というと白い目で見られるらしいが、多分それは宗教=道徳だからであろう。
宗教とはGODにより善悪が定められたものであるからで、GODなのか権威なのかの違いでもある。

そう考えると、日本における道徳というのは、ヨーロッパにおける宗教の一種とも考えられる。
日本は十分宗教的な国である。


そこでベジタリアンは道徳的か?ということになるのだが、
日本においては、権威はベジタリアンであることを善としていない。(善とする権威がいない)
なので、ベジタリアンは道徳的ではない。
例えば、堀江貴文ベジタリアンを攻撃するのはよく分かる。
彼は、破天荒な発言をしているが、それは経済においてであり、文化的な考え方においては比較的保守的な人間である。(古き良き香りがします。)文化的には非常に道徳的な人間であると思う。なので、ベジタリアンを攻撃するのは彼にとって、正しい行動であると思います。

私は道徳的な人を見ると、「あ、そういう宗教の方なんですね」と思う。
宗教における権威に踏み込んだ議論は成立しない。もし成立するなら、その人はその宗教に本質的には屈服していないのではないかと思う。(つまり信じていない)


以上で、証明終了です。

ひろゆきさんに学ぶ1

ニュースの見出しを見ていると、挑発的なことをいう喧嘩腰の、議論に勝ちたいだけの人に見えているひろゆきさんですが、私はあまり彼の話をちゃんと聞いたことがなく、そのように思っていました。

岡田斗司夫YOUTUBEはたまに見ているのですが、ひろゆきと堀江さんの対談を聞いてから、ひろゆきのことが好きになりました。
対談では、「人に嫌われて傷つく岡田斗司夫」に対して、「人は勝手に自分のことを好きになって、勝手に嫌いになるのでなんで傷つくんですか?」と言っていたのに共感しました。その後、ひろゆきYOUTUBEを聴いているのですが、その姿は知識がありつつも素直であるが故に、矛盾点に気づくのかなと思います。また、チャラチャラしている風に見えますが理想の社会を目指したいという思いがあり、BIを語ります。彼が議論したいのは、みんなに気づいて欲しいという思いが背後にありそうです。よく極論とみられることや、全く関係ないことをと思われるようなことを言いますが、それは、頭の良い人のよく行う行為で、バカにされたと思うのは、理解できないか、自分の意見に誇示したいということが多いと思われます。まあ、彼も人間なので自己正当化の理屈をいうこともありますが、それは正しく指摘してあげれば、彼は、理解してくれると思います。(むしろ指摘して欲しい、してくれる人を喜ぶと思います)


笑ったのは、
・美味しいものを求めない。生活レベルを上げない。
・デブは本能に屈服されている
・ご飯はご飯で食べる。
・1ヶ月1万5千円で過ごせる。
PS4を買うか最近悩んでいる。(無駄になるものを買いたくない)
・引きこもり。ほとんど外出しない。だからお金を使わない。
・高い食べ物に金を出すのはバカ
・高校の頃遅刻していた。全て遅刻しても、休まなければ卒業できることがわかった
で、
共感してしまいます。


「単品で食べる」ですが、その方が一品一品味わえて良いです。(味が混じりませんし)これは自論ですが、例えば納豆を食べるときは納豆だけを食べるべきだと思います。まず、納豆があるからご飯が欲しくなる、ということをしていると、自動的に炭水化物オーバーになります。それは体に良くありません。それ以上に、なぜご飯なのか?納豆だけではダメなのか?ということをまず考えるべきで、納豆にはご飯というすり込みで食べているに過ぎないケースが多いと思います。
他にも「肉を食べたら赤ワインが飲みたくなる」「焼き鳥の匂いを嗅いだらビールが飲みたくなった」「餃子にはご飯」などなど、すり込みです。
お酒がやめれない人は、このすり込みを解除する必要があります。逆に解除してしまえば、飲む理由がなくなり、誘発されません。その結果、純粋にお酒を味わいたい時だけとなります。
肉を食べたらワインも、餃子を食べたらご飯も、・・・、とやっていると、太る一途です。すり込みを解除するだけでもダイエットも進むでしょう。

また、以前から言っていますが、ワインはワインで飲み味わうべきです。料理と飲んだりしていると、一本飲まないと、というようなことを言い出すわけで、1杯で分からない人は、1本飲んでもわからないでしょう。


また「分かりやすく美味しいもの」「味がはっきりしたもの」というものは、味覚能力を低下させると共に、過剰に食べさせ、健康にも良くないです。私の最近のお気に入りは、オートミールをそのまま、オートミールだけで食べるです。オートミールは分かりにくい凡庸とした味わいなのですが、何度も食べているとその奥深さが見えてくる面白い食べ物です。


ひろゆきさん面白いですね。

年齢に応じた健康の意味あい

息子の学校では水筒に水を入れて、学校に持参する習慣になっています。我々が子供の頃は、水道の水を飲んでいましたが、時代は変わったと思わされます。

息子の友達は、その水筒に親が「健康のため」ニガリを入れており、その子はニガリが不味いので、学校で水筒に入った水を捨てて、学校の水を入れている、ということを私に教えてくれました。「お父さん、ニガリって体にいいの?」と聞かれました。

ーーーーーーーーーーーーーー
ボディビルにおいて、食事7割、トレーニング3割と表現されるように、食事に拘ります。
それは「健康」という曖昧、漠然とした定義ではなく、効率的に脂肪を落とし、効率的に筋肉を増やすことを突き詰めた結果、食事に拘ったのだと思います。すなわち、彼らは、体を作る要素は7割が食事だと思っているようです。
その理論において優先順位は、次の通りです。
1.カロリー収支
2.三大栄養素+食物繊維
3.微量栄養素+水分
4.食事回数+タイミング
5.サプリメント
ダイエット|栄養管理の重要度ピラミッド|AthleteBody.jp

今回このニガリは5番目のサプリメントに位置するもので、正直あまりボディメイクにおいては重要な位置にありません。では健康においてはどうか?というと、多分同じく、5番目なのでしょう。ボディメイクの考え方は原理原則に則っているように見えるので、揺るがないように思います。

むしろ、ニガリのようにマグネシウムに突出して多いようなサプリメントがいいのかは、私にはなんとも言えませんが、何かひとつも成分を大量に足すと、排出されるか、障害が起きるかのどちらかのように思われます。端的に言えば、無駄、と言えます。


ここまで考えたところ、健康とはなんなのか、ということを考えてみたのですが、通常、我々が健康を考えるときには、手が痛くなった、お腹が痛くなったなど、体の不調が現れた時です。それを改善したいがため、健康という概念が現れ、改善を図ります。
そのように体の不調を感じ始めるのは、30代〜50代が多いのではないかと思います。つまり親の世代です。親の世代は、徐々に生命力が衰え、運動もおざなりになり、体に悪い飲食が表面化し、不調を訴え始めます。ですが、子供を見てみると、大人のように乱れたPFCバランスであろうが、カロリー収支であろうが、案外多くの人は普通に生きています。

つまり、子供は生命力があるため、健康を考えた食事を大人ほど必要としない、という側面があるのではないでしょうか?我々大人の健康は、食事7割、運動3割だとして、子供は食事3割程度なのではないでしょうか?

子供が病気になるのは精神的なダメージで病気になる印象があります。
正直大人は、9割方、食べ物や運動不足だと思います。
それは、子供が我々より精神的な存在であることを示し、我々大人が物質的な存在である、と示されているように思います。

とするなら、我々大人の健康が、大方、食事7割、運動3割で作られるのに対し、子供は、食事3割、精神7割という推論が建てられます。

我々大人は、子供の頃より、この地上世界に降り切っており、地上世界で学んだ後にもう一度、子供のところまで上がれるようでありたいと思います。


まとめると、
子供にとっての健康は、精神の調和・充足。
大人にとっての健康は、食事と運動。

ああ、大人はレベルが低い。

ダイエット経過報告

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体脂肪率を下げるのは簡単。
物理法則に従うと痩せます。
物理法則なので精神論、オカルトは関係ありません。
物事を複雑に考えすぎです。

4月半ばから1550〜1600kcalをとっています。運動量は徐々に増え続けています。ですが途中で必ず減らない時期があり、そこを過ぎると落ちます。これは体脂肪自体は燃焼しているものの、燃えた後に水分が含まれ、数字に出ないと思われます。

6月に体脂肪率12%、7月に10%を行きたいです。