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   繊細なジュヴレか、82グランドリュ、もう一回飲ませて!

一度行ってみたいワインショップのワイン会に行きました。

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表参道のワインショップで気になっていたお店で、ワイン会に参加させていただきました。食事はなく、ワインだけというスタイルです。常々ワイン会に料理が出てくると、ワイン→料理→ワイン→・・・という流れになり、料理の香りがワインを邪魔します。

肉系は良くありませんが、カニなどはもっと香りが強く、ワインの天敵です。

また、ワインの飲みたいのに料理が出てくると放置することもできず、冷めないうちに食べることになります。そうすると、その間に、ワインの香りを取れなくなります。その上ワイン会なのでグラスを多く並べることになるため、料理のスペースがワインの邪魔になります。ここでは、料理もなく、ワインに集中できてうれしいです。ワインはブランド、ログマイヤーグラススリーで。グラスを使いまわしせず、オールロブマイヤーというのも素晴らしい。西方さんのワイン会は数客で使いまわしですし。

[ワイン]

1.2012 bernar Moreau Chassagne-Montrachet LaMaltroire

2.1993 Potinet-Ampeau Meursault Laes Perrieres

3.1992 Verget Puligny-Montrachet Les Pucelles

4. 1996 Pierre Ponnelle Montrachet

5.1988 Joseph Drouhin Montrachet Marquis de Laguiche

 

ラインナップを見ていただくと結構いいものがならんでおり、モンラッシェが2本もあります。同じ値段だと西方さんのワイン会だとモンラッシェが1本で後は村名以下になるので、とてもうれしい誤算。こちらのお店はセラーが横にあってすぐ出してくれるので、輸送してすぐ飲ませる西方さんの会とは違います。おっと、あまり西方さんと比較してはいけませんね。最近全くいっていませんし。今は素晴らしいサービスに変わっているかもしれません。(西方さんに恨みはないのですが、もっと頑張ってほしいと思っています。料理屋とのコラボレーションが中心で今はワインが後出しになっています。ワイン好き相手では儲からないと判断してビジネスを展開中なのでしょう。確かに貴重なワインは手に入りにくくなっていますし、しょうがないのですが、看板名が泣いています。)

脱線してしまいました。またワインのコンディションもよく、ショップで輸入し、状態が悪そうなものは返却し、しばらく安置させるだけで、普通のことをしているとのこと。ん~、ラターシュさんは近年良いものが入らなくなっているとぼやきドンドンラインナップが3流生産者に偏りコンディションも悪くなり高くなっています。ラターシュさんいわく、市場に古酒はなくなっていると言っていました。確かにロンドンの品などなくなっているので、全般的にはそうなのでしょうが、コネクション(とお金)のある人は、こうやって引っ張れることを雄弁に物語っています。

状態の良い90年代を飲めるとはおもってもいませんでした。

 

一番心に残ったのは、ポンティネアンポーのムルソーペリエールでした。

このワインは最初ロウの香りが強く、アロースの平地部分をイメージさせました。ヴィンテージは99年だと思いました。その後、次第に還元香が強くなり、沢庵の香りが支配的になり、2時間ほどして、沢庵の香りが飛ぶと、透明感あふれる味わいに昇華していました。

この年はボトリティス菌が繁殖した年で、ロウのニアンスもそこに由来していたと今思います。ヴィンテージが99と思わせたのは状態の良さと、熱さを感じたからでした。

 

またヴェルジェの92ピュセルはピュリニーのコンボットソゼと思いました。ヴィンテージは93くらいかと。銘柄オープンされると、ピュセルをヴェルジェのバトナージュ多めの造り!といううまくかわす銘柄選定でした。

96のピエールポネルのモンラッシェは、シュヴァリエかフォラティールと思いました。とても冷涼感があり、標高の高さを感じました。とてもピュリニーらしい造りです。この冷涼感はヴィンテージ個性で、温度が上がった後のボディに着目していれば、フォラティールと言わなかったと反省しています。途中からボディが大きくなり甘くなっていきます。96はブラインドだと外す年です。

88は最初からオープンで、まあいいのですが、これなら、シャサーニュ・マルキドラギッシュで十分かと。

 

モンラッシェを2品のみ、ミッドのふくらみがありつつも、香りの高さがありさすがと思いました。が、やはり重く、消えそうな儚さを白に求めたいので、モンラッシェはファーストチョイスにならないと思いました。

楽しかったです。

 

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フィリップパカレに聞きたいこと

  1. パカレのボージョレーヌーボーでリリース直後と1年置いたものを同時に飲んだことがあります。その時1年寝かしたワインは、パカレのコートドールのワインと同じニアンスでした。なぜ、買いブドウでかつ、蔵も違うと思われるのにも関わらず、同じにパカレ風味が生まれるのでしょうか?
  2. パカレ特有の香りが10年頃から近年抑えめになっているように感じます。造りに変化はあるのでしょうか。
  3. 2001年、2002年ごろ、試行錯誤されていたことはなんでしたでしょうか?
  4. 赤に比べ、白はあまり経験がありません。2009年頃のムルソーペリエールくらいです。その時飲んだペリエールは90年代のクラシックさを感じました。白に関してどのようなビジョンで作られているのでしょうか?
  5. スパークリングを作られたら、どんなスタイルを目指しますか?
  6. シャルドネの最適地はどこだと思いますか?
  7. ピノノワールの最適地はどこだと思いますか?最適地の条件はなんでしょうか?
  8. AOCやコストや時間・年数を度外視して、ブルゴーニュにおける最上のワインを作るためには、どこでどうやって何の品種で作ってみたいですか?
  9. 近年のパカレのピノノワールのワインはタンニンに関してより抽出を抑えているのでしょうか?樽のタンニンについてはどう考えているでしょうか?
  10. ジュヴレシャンベルタンはどこの区画からでしょうか?
  11. パカレのジュヴレシャンベルタンとベールエール、どちらがジュヴレらしいでしょうか?
  12. 13年のジュヴレシャンベルタンを寝かせる意味はあるでしょうか?
  13. ブルゴーニュの熟成に、タンニンは重要でしょうか?
  14. 新樽、古樽どちらが長熟のワインに向くと思いますか?

つづく

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代替商品が無い世界

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ルフレーブはピュリニーにあってほしい透明感、空気の澄んだ体感温度が低い感覚、
アニスの香り、を備えており、かつ、不要なものを感じさせない。クラヴァイヨンはルフレーブの中でも最も控えめなスタイルで、シュヴァリエ・バタールの暑苦しさやピュセルのケバさがなくいい。別の生産者の95バタールを開けたところ、バトナージュが強く、ピュリニーの良さを殺していた。やはりピュリニーはルフレーブかと思う。
ところで田中さんのブログで次のように言われていた。

余韻の長さそのものはヴィラージュの限界はいかんともしがたく、そこだけに着目するなら今のブルゴーニュの値段は高すぎます。それはインポーターの責任ではありません。世の中に素晴らしいワインは山のようにあるのに、ブルゴーニュのようなブランド産地、それもジュヴレやヴォーヌといった有名な名前しか覚えようとせず、そればかり買おうとする消費者の責任です。いい加減目を覚ませと言いたい。

 とはいえ、実は消費者を責めるわけにはいかない。世界数十か国の全アペラシオン全生産者全品種全ヴィンテージの味を記憶している人など原理的にいるはずもない。自分の好みのワインを世界から選ぶのは難しいばかりか不可能なのです。だから知っている範囲から選ぶ。他の商品を考えても、それはむしろ普通の消費行動です。

Wineplat11社合同試飲会: Katsuyuki Tanaka's WINEDOO

より

おっしゃられることは分かります。ワインをブランド品として味わうのを見ると同じ思いを持ちます。ですが、翻って自分のこととして考えると、ルフレーブこそTHEピュリニーと考えたくなり、ルフレーヴがあればもういいか・・・とも思わせてしまいます。

もし、ルフレーヴの代替商品が別の産地にありそれが1万円でかえるなら、ぜひ乗り換えたいです。しかしながら、そのようなワインは知らず、こうしてルフレーブを開けるしかないです。いくら値段が上がっても、ルフレーヴしかないのでしょうがない状況です。多分、ルフレーヴの代替品が容易にあるのであれば、値崩れもするでしょう。そこまで消費者は馬鹿ではなく、田中さんの視点より一部の消費者はブルゴーニュを深く愛していると思います。

 

皆がそれを承知で買い続けているのは、すべての消費者がブランド品として使っているというわけではなく、内容を理解し代替商品が見つからず、しょうがなく購入している人も多数いるのでしょう。

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今のブルゴーニュは面白くない、というのは、値上がり/市場の拡大に伴う良品の品薄/古酒の枯渇/生産者の努力・チャレンジ不足といったところが挙げられる。また突き詰めて飲んだ年数に応じて、新しい発見が減ってくるところは大きい。

なにより、Yさんのワイン会がないのも、面白くありません。

 

平野弥さんやワインホリックさんがコンディションの重要性を説かれますが、彼らがそれを強みにしているからであろうという点を忘れてはなりません。また彼らはあなたにとっての飲まなければならないワインをいっているのではなく、基本の”き”であるコンディションを言っているに過ぎません。

ワインというのは人によって、何を飲まないといけないか違っています。
ブルゴーニュにおいていえば、自分にとっては、特殊な個性であり、ブルゴーニュの何かを象徴したようなものを求めています。実はそういったものは、希少性が高いものであることが多く、正直なところそれの重要性を説いてしまうと、ワインビジネスとしては成り立たなくなってしまうので、インポータやショップにとってはあまり口にしません。

 

例えば、昨日飲んだ、1985ヴォーヌロマネ モンジャールミニュレ、は一つのアイコン的なワインでした。ボトル上部と中部・下部の味わいが全く異なっていました。見るべきは上部でした。上部は、本体自体の味わい・香りは全く冗長ではなくただクリーンで無為。余韻は強さはなく終わりを感じさせない、いつ終わったか分かりません。綺麗すぎるとワインは無個性となるということを確認できました。

一方ボトルの中部と下部においては甘みが目立ち、沢庵香もでていました。なお、上部の1杯はとっておき、1時間程度すると甘みがでてきて中部と下部の個性がでてきて個性のあるワインになっていました。

もう一つ言及するのであれば、Theヴォーヌロマネとは、このときの上部のワインがキャラクタの本質であると思います。粘土でありながらもタンニンの重さを出さないところになぜヴォーヌロマネでなければならない理由です。

このようなワインは、作られてすぐ現れるものではなく、30年寝かせて一部のもののみが纏うキャラクタです。

 

前述したようなモンジャールの上部の味わいは、ロマネコンティやベーズの当たりを思い起こさせられます。

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改題 ビオディナミのジレンマ

ビオディナミの矛盾からタイトルを改めました。

 

ワインはアルコールを含みます。
人智学(ビオディナミ人智学に基づく農法)ではアルコールの人への悪影響について20ページほどの紙面を割いて語っています。人智学を学ぶ人はまじめな人が多く、禁欲的で、シュタイナーが否定的なことをいっている場合、対外的にはアルコールを好きだとは言わない(いえない)雰囲気にあります。ですので、ワイン自体、人智学的に微妙な立ち位置にあると言っていいと思います。

そんなワインをビオディナミの考え方でつくるというのは、どういうことなのか?
そこにジレンマを感じるはずです。

 

人智学というのは、神の究極的な視点ではなく、人に必要な視点で霊的な世界を理解する学問です。人智学は3つに分解し説明することを好みます。物質的-私-霊的といったようにです。人智学のスタンスは物質によってもいけないし、霊的なスタンスによってもいけなく、その中間に人は位置しなければならないと考えています。また、この場合の物質的と霊的に該当するのが、ルシファーとアーリマンの悪魔であり、この二つの悪魔のおかげで人は自我を作りだしたと考えています。

人智学において、「悪魔」という悪ではありません。悪魔というのは、進化から逸脱してそこにとどまった天使です。人智学で善悪で世界を割って判断するスタンスに立っていません。

なので、アルコールがいかに悪い影響があったとしても、シュタイナーは禁止しなければならないとまでは(近いことはいっているが)いっていません。またシュタイナーはアルコールのほかにもジャガイモにも厳しく否定的です。

シュタイナーは結構思い込みの強い人で、嫌いなものは徹底的に褒めない(いいところを認めない)ところがあります。また当時の1920年代の人向けに語ったものですので、今の時代に合わないのかもしれません。

ですので、アルコールの影響をえこ贔屓なく捉えなおし、人の健康の側面から切り込むことで、アルコールも何らかの必要性がでてくるのではないかと思っています。★

またその一方で、人智学は人を理解するために、植物や動物を霊的に説明しています。その考え方を応用して、霊性を考慮したワイン造りを提言できるはずです。これがビオディナミとなります。★

この二つの★を紐解くことはシュタイナーの時代では終わっておらず、現代に託されています。なので、まだまだ発展途上であり、もしかすると、ワインというものはやっぱりいらないものであったという結論かもしれませんし、もしかすると、霊的に重要なものであったという結論なのかもしれません。

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ビオディナミの矛盾

エルヴェジェスタンは、醸造におけるビオディナミを目指している。ビオディナミ人智学の考え方に根差した農法を意味しており、この場合、農法ではなく、醸造であるが。

さて、ジェスタンが何を目指しているのか、ワイナートを読んではみたが、よくわからない。ワインを一つの生命とみなし、生命を育てるために、アプローチをするといったところなのだろうか。(読み込みが甘くてすみません。)

 

ジェスタンがどういう思想なのかおいておいて、ワインを生命体とみなし、成長を補うという観点で醸造のあるべき姿を捉えなおすということはビオディナミのメソッドとして正しい論法であるといえる。

ただ、それは農法であり、人智学の視点ではない。

人智学はあくまでも人を中心に捉えた思想・方法論である。そのため、人を中心に見据えていないビオディナミというのは、着地点のない議論のようなものである。すなわち、
ビオディナミにより育てたワインとは、霊的にどのようなものなのか?
②そのワインを摂取することで、人は、どのような作用を受けるか?
③それにより、世界へ何が与えられるか?

ということを考え、完結するといえると思う。

 

シュタイナーの思想に立ち返るなら、まず、食事とは何かである。
食事とは、太陽の光をエネルギーに・・・

 

眠いので、つづく・・・

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タンニンのないブルゴーニュルージュ

2010 ジュヴレシャンベルタン・ベールエール フィリップパカレ

 

半年前は閉じており、表情に乏しかった。
今(2017年2月)は開いており、香りが解放されている。
この区画はベーズの上に位置しており、プレモー石灰岩上に作られている。
故に、その味も硬質で曇りが無く、引っかかるところが無い。その反面粘土質土壌の個性が無く、豊満さやゴウジャスさは皆無である。これを好きなのですが、タンニンの好みの話をまとめてみると、これが好きなのも腑に落ちます。

プレモー石灰岩で標高が高い斜面にあるが故に、粘土が無く、故に葡萄由来のタンニンがない。新樽も多くないと感じる。もう数年後に飲みたい。

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ワインの好みについて4

では、樽のきいたものを飲みたくないか?と言われると、飲みたいと答えてしまします。

樽のきいたワインはある種、クラシックであり、たまにそれを確認して、現在地を知りたい、昔の生産者の意図を再確認したいと思っています。なので、それは好みではないのですが、飲みたいです。特に、ラフォンやルロワなど優れた生産者のワインについては、飲む意義があります。

 

とはいえ、もう買えないので、出会えたら、アリガタヤアリガタヤと拝んで飲むわけです。

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ワインとは誰と飲むかが重要である

なーんていうのは、一般消費者であるならばOKであるが、品質にこだわる人が行ってはいけません。

「ワインとは誰と飲むかが重要である」というシチュエーションは、男一人暮らしで、ワインが趣味でもなく、一人で夕食を食べる前、後に晩酌する、そんな時、ひとりで高級ワインを飲むよりも近所の気心の知れた人や、遠方から訪ねてきてくれた旧知の友人とかわす安酒のほうが嬉しい・・・・、そんな状況であると察します。それは、高級料亭よりも素人でもちょっと手を加えてくれた料理のほうが心温まる、そんな状況です。

そのような心理は人として正しいありようです。
しかしながら、それとワインの趣味を一緒にしてはいけません。
ワインの趣味というのは、ワインの品質と個性とワインのあるべき姿に向かい合う取り組みです。そんな世界において、ハートウォーミングなものは介在しません(言い過ぎたかもしれませんが、決して主流ではありません)。漫画のように、ワインで人と人の円をつなぐ、ワインで人の悩みを解決する、そんなものは、断じてワインの趣味ではありません。

また販売業者が、「ワインとは誰と飲むかが重要である」なんていうのは、生産者に失礼です。また、高いワインを買わせた人にも意味不明です。高いワインなんて売らなければいいではないですか!(ハートウォーミングな儲け主義なのでしょうか?)

 

ワインが趣味でない人や、販売に関わる人であれば、はっきりと、

「ワインは誰と飲むかが重要ではない側面がある」

と言わなければなりません。また残酷ですが、

「ワインは誰にでも門戸を開いているものではなく、分からない人はお金の無駄なので高いワインを買う意味はないでしょう」

といえます。

 

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ワインの好みについて3

ここ数年でブルゴーニュが特に変わったのは(2010年頃から顕著に)、
タンニンの在り様と思います。それ以前は、タンニンが強く抽出され、
例えば、ロベールシヴィニョン、アンリグージュなどは、タンニンがシルキーに
なっており、昔の「ザ・ニュイサンジョルジュ」ではなくなっています。
またロベールシルグなども先代と比べて、葡萄のタンニンがこなれてきています。(が、あの作り方はジャイエ流の直系で、樽のタンニンを使いすぎており、邪道です。またトップキュベとそれ以外が全く違う造りで、評論家の高い評価をうけるグランエシェゾーとそれ以外が全く違うのは、グランエシェゾーが行き渡らない消費者には詐欺といえます。それをビジネスと割り切ってやっているシルグとなります。)

また、白ワインに目を向けても、90年代のムルソーのように、ガンガンにタンニンを利かす生産者も見られなくなってきています。

 

以前(10年くらい前でしょうか)は樽がきいていることイコール高級ワインという図式があり、猫も杓子も樽を利かせていました。それがいま、控えめになってきており、ブルゴーニュでも新樽を使わないことを売りにする人もちらほらといるような気がします。(あれ、いなかったかな。)

なので、時代の嗜好と自分の嗜好はあっている状況にあります。
しかし、ポンソや一部のシャンパーニュを飲むと、やっぱり、新樽は要らないな・・・と思うのです。

 

赤で美味しい産地というのは、タンニンが土壌の泥の成分と結びついてえぐくならない産地である、と最近思うのです。ブルゴーニュであれば、ニュイサンジョルジュのプルミエクリュ、ヴォーヌロマネ(リッシュブール、フラジェエシェゾー除く)、シャンボール、クロドラロッシュ、ジュヴレシャンベルタン(シャンベルタン側の丘)がそれに該当すると思います。シャンパーニュで美味しいピノノワールができる土地は自分は知りません。ぜひ巡り合いたいです。

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